今までも何度か海外旅行の経験はあったが、インドはもちろん初めてだった。
椎名誠の『インドでわしも考えた』を学生のころ読み、まあ不可思議な国なんだろうという印象は持っていた。
聞くところによると、インドに行った人は大体二つのパターンに分かれるらしい。
「こんな魅力に満ちた国は他にない。また来たい、できるなら永住したい」
という人と、
「こんなサイテーな国、二度と来たくない」
というパターン。
12時のエアインディアに我々ツアー一行は乗り込んだ。なんとこのツアーの参加者は49人もいた。
話には聞いていたが、エアインディアのスチュワーデスはまさに噂通りで、サリーを着て恰幅もよく(ナイスバディという意味ではない)、笑顔のサービスなど皆無だった。むしろなんかしたらすぐに怒られそうな雰囲気だった。
そして11時間後、飛行機は無事ムンバイ(この頃は“ボンベイ”と呼んでいた“)に到着した。夜の11時になっていた。
空港にはネイティブ並みに日本語が堪能なインド人ガイドが二人、スタンバイしていた。この二人が49人のケアをしていくのだ。
空港の中では背中にタンクをしょったおっさんがうろうろしているのを見かけた。タンクというのは日本でもよく畑や木などに消毒するときに消毒液を入れてプシューっと吹きかけて害虫駆除などをやるときのあのタンクだが、まさにそれだ。
何だろうと思ったら、それは消毒のおじさんではなくチャイ(ミルク紅茶)を販売しているおじさんだった。タンクの中は紅茶が入っていたのだ。これは完全にうろ覚えだが、多分一杯20円とかだったと思う。おれは感動してすぐに買ってみた。そしてそれは普通においしいミルクティーだった。
もう夜も遅い時間だったので、その日はそのまま結構巨大な豪華ホテルに泊まった。
そして翌朝、いよいよサイババのいるアシュラム(修練場というか合宿所みたいなもの)に行くのだ。これは2カ所あり、本店は「プッタパルティ」というところにあり相当大きな施設らしいが、今回我々が行くのは南インドの「ホワイトフィールズ」と呼ばれる場所で、まあ支店みたいなものなのだろう。本当は本店に行きたかったがサイババはこの2カ所を行ったり来たりしているという。いないところに行っても意味ないので「ホワイトフィールズ」へ行くしかない。
我々は貸し切りバスに乗り込んだ。が、バスがなかなか出発しない。
日本から同行している添乗員と二人の現地ガイドが何やらあわただしくどこかに電話をしたり話し合っている。
しばらく待っていると、やっと添乗員とガイドもバスに乗り込んできた。そして添乗員が言った。
「今朝の情報で、サイババはホワイトフィールドから移動してしまったらしいということが分かりました」
おお、ではプッタパルティに行けるのか。全然かまいませんけど。
「情報ではホワイトフィールドのさらに南の○○というアシュラムに移動したそうなので、私たちも予定を変更してそちらに向かいます」
プッタパルティでないのは残念だったが、それは我々にとってもそんなに悠長なことを言っていられる話ではなかった。陸路、そのアシュラムへ行くというのは果てしなく遠い道のりなのだ。
そう、ここはインドなのだ。
そのことに我々ツアー客は誰一人気づいていなかった。
「最初にお伝えしておきますが、今日中には到着できません」
「はぁ?」
とにかく遠すぎるのだろう。
朝出発してその日のうちに到着しないとは、一体何百キロ走ろうとしているのだろう。
まあ仕方ない。バスは出発し結構激しく揺れながら南下していった。
途中、レストランで昼食をとり、また延々バスに揺られていった。
だんだん風景が変わっていき、まわりは岩山ばかりが見えてきた。
木が一本も生えてない、巨大な石ころみたいでそれは不思議な光景だった。
そして道はますます舗装も悪くなり、バスの揺れも激しくなっていった。
夕飯は何かなぁ。もうあたりも暗くなってきたし。
だけど店も民家も全然見当たらないんですけど、と思っていたら添乗員がバナナを配り始めた。
「申し訳ありませんが、とりあえずこれで我慢してください」と言って、一人2本ずつバナナが配給された。マジかよ・・・。まあ店がなんにもないのだ。
これ、国内ツアーだったらふざけんな金返せもんだったろうが、今回はみんな一応聖地巡礼の旅に来ているのだ。誰一人文句を言う人はいなかった。
つづく
聖地巡礼の旅 第一部
聖地巡礼の旅 第三部
聖地巡礼の旅 第四部
聖地巡礼の旅 第五部
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