聖地巡礼の旅 第五部

スピリチュアル

アシュラムでの1日は、朝と夕方のダルシャン以外は基本的に何もやることがない。敷地内には売店と食堂があるぐらいで、敷地の外にはサイババグッズのお土産店がひしめいていた。多くの外国人は読書をしていたり瞑想していたり掃除をしていたり、あるいはどこかへ出かけて行ったりと様々で、もう何か月もこのアシュラムで暮らしている人も多いそうだ。そもそも宿泊費もいらず、食堂は一食30円くらいだったか。毎回カレーだがおいしいものではない。お金がなければ払わなくてもいい、というような話も聞いた気がする。何か問題でも起こさない限り強制退去も求められないようだ。


ある日、インド人ガイドが敷地の外を案内してくれた。小山のような所を散策したりしていたが、そこの民家の軒先で揚げ物を売っていた。日本で言えば肉屋がコロッケを売っているような感じで、それが肉屋ではなく普通の民家なのだ。アシュラムでの食事は連日薄いカレーで正直もっとこってりしたものが食べたいと思っていたのだ。
しかも・・・。実はインドに来た時からずっと感じていたのだが、インドは美人が多い。色は黒いがホリが深く、エキゾチックな目をしている人が多い。この民家の軒先でもまさにインド美人が売っていた。なんでエアインディアはこういう人たちをキャビンアテンダントに採用しないのだろう。そして当然おれはこの揚げ物を2種類購入した。相変わらず無愛想だったがかなりの美人だった。
他にも何人かが購入していた。そして久しぶりに食べる揚げ物はしみじみと美味しかった。しかし結局あれは何を揚げたものだったのだろう。肉というよりも白身魚っぽい気もしたが、意外に蛇とかカエルだったり、あるいはもっと別の、考えたくもない動物のものだったのかもしれない。
おれを含め数人がそれを食べているところをインド人ガイドが見つけた。
「あ、あ、それダメです!危ないです!やめてくださーい!」
「え、なんで?」
「日本の人、必ずおなか壊します!」
だってもうほとんど食べちゃったよ。でも火も通してあるしな。油に難があるのだろうか。ちょっと思い出し、ガイドに聞いてみた。
「あの、空港とか道端でチャイ売ってる人いるじゃないですか。あれはどうなんですか?」
「あれはもっとダメです!絶対買っちゃダメですよ」
ってもう遅い。

残り2日間をどう過ごしたのかを、なぜか今となってはほとんど覚えてない。勤勉に瞑想なんかしてた、ということは絶対ないし読書をしてすごしたわけでもない。テレビなんかそもそも無い。他の外国人たちとの交流も言葉の壁があってできるわけがない。いったい何していたんだろう。

毎回のダルシャンでは幸運なことに毎回のようにサイババはすぐ近くまで来た。
しかし相変わらずいかりくんの手紙だけはまるで意図的のように受け取らなかった。さすがに彼も気落ちして、明日で最後、という日に書き直した。
「お願い事を半分にしたぜ」
そういう問題か?そしていよいよ最後のダルシャン。そもそもここでサイババが我々の前を通過しなければ手紙を渡すことなんかできない。会場には何百人もいて、どこをどう通るかは決まっていない。その日、確か我々一行はあまりいいポジションにはいなかったのだと思う。おぼろげな記憶では、サイババは10数列先のあたりをじれったく歩いていた。「こりゃダメだな・・・」と思ったその時、急にサイババは進路を変更し、こちらに向かってきた。そしてまた我々の目を通り、今度はなんといかりくんの手紙を受け取って行ったのだ。もちろん彼は狂喜乱舞したが、手前で進路を変えられた人たちはたまらなかっただろう。

翌日、我々日本人ツアーはインディアン航空で帰路に就いた。我々の席は後部に50人ほどまとめられており、成田までの間、ずっとトイレは使用中だった。ツアーに参加したほとんどの人が下痢を起こしていたようだ。幸いおれはインド滞在中はまったく異常がなかった。それどころか5日間、完全に便秘になっていた。最初にインドのトイレを見た時にそのすさまじさに「ここでは何があっても絶対出すまい」と体が反応したのだろう。

8日間の聖地巡礼、というより「インド旅行」みたいなもんだったが、これによって最初の目的だった「自分の人生をなんとかしたい」つまり好転させたいという願いはかなったのか。その後の人生を振り返ると、インドから帰ってきてから幸運続きなんてことはもちろんなく、仕事においてもプライベートにおいても試練とピンチの連続であった。悩みも心配事も絶えない。しかし心のどこかでいつも最後は何かに守られてるような気はしていて、それが守護霊なのかご先祖様なのか、あるいはサイババなのかはわからない。

おわり

聖地巡礼の旅 第一部
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