『同窓会~Love Again症候群』同窓会の真実

エッセイ

『同窓会~Love Again症候群』というドラマがやっていて、イライラしながらも全話見てしまった。
45歳の中年男女が30年ぶりの同窓会をきっかけに恋に落ちていく、という分かりやすいストーリー。
40代独身女性をテーマにした『アラフォー』だったり今回の『同窓会』だったり、20年前だったら絶対にTVドラマのネタになるなんてありえないであろう話題だったが、40代はおろかきっと50代、60代、いやひょっとすると70代80代になってもリアルな世界でも恋愛ストーリーというのはあるのだろう。時々老人ホームなんかでもそういう話を聞くし、きっと神は何か大きな理由があって人間から恋愛脳はいくつになっても解除できないようにしているのかもしれない。

しかし『同窓会』のドラマを見ていて思ったが、もし家庭を持ったもの同士でこんなことが現実に起こったら、それはもっとドロドロした色恋沙汰になるはずだ。「中学のときのような純愛」なんてありえない。逆にお互い独身であるとか離婚したばかり、というシチュエーションであれば一気に火がつく可能性も高いのではないか。
でも『同窓会~Love Again』はやっぱりフィクション、というか妄想の世界だろう。

今から10年以上前、たまたま実家に帰っていたときに中学時代の同級生から偶然電話がかかってきた。
「同窓会をやるので参加して欲しい」
しかしおれは中学時代の自分というものが大嫌いで、その頃の級友にも会いたいとも思わなかった。
当然おれは参加しなかったが、その5年後、今度は高校時代の級友から突然電話がかかってきた。
「同窓会をやるので参加して欲しい」
おれは高校時代の唯一の友達でもある広川に電話してみた。こいつだけはいまだに付き合いがある。人見知りで人付き合いの悪いおれにとってはこれは奇跡的なことだ。
「おう、おれだ。ところでSから同窓会のことで電話あったか?」
「え、まだないな」
「お前、行く?」
「行くわけねーだろ」
「そうだよな」

で結局行かなかった。同窓会というのは基本的に、クラスごとでやるというわけではなく学年単位で行われたり、場合によっては何期生かにまたがって招集をかけるようで、この辺も参加を躊躇させる一因でもあった。

そしてもっと根本的なところとしては、同窓会に参加する人の多くは「他人と自分との比較」を絶対するだろう、ということだ。卒業してからそれぞれの人生を歩み、その結果を持ち寄るみたいで「自分がどれだけシアワセか」の自慢の仕合だったらこんなつまらない集まりはないだろう。

同窓会のシーンをシミュレーションしてみよう。
まず会場はどこかのホテルの宴会場だろう。
受付で名前を申告する。多分他の人が見て分かるように名札が用意されているんじゃないか。
受付を済ませ、会場のドアを開ける。パーティーはもちろん立食だ。あちこちで既にグループが出来ている。
しかし何しろ30年も前の話だ。ほぼ全員が知らない顔と言っても過言ではない。他の人の名札をチラチラと見ながら自分の知っているはずの人を探す。運よくそのグループを見つけた!
しかしどーも記憶が曖昧で、多分そいつらは同じクラスだったのだろうが、昔の面影もなく、というより昔の面影すらよく覚えていないので、依然としてただの知らない人にしか見えない。どうにも居心地の悪さを覚えながら顔では愛想笑いを続けている・・・。
ああ、想像しただけで疲れる。
さて、では仮に割りと記憶に留まっていた人たちと再会したとしよう。
最初のセリフは絶対こうに決まっている。
「今、何してんの?」

もちろん純粋に昔を懐かしんで出席する人もいるのかもしれないが、今、自分は一流企業にいるのだ、実業家になったのだ、年収が1000万だ、うちの主人は外交官で、うちの息子は東大確実で、など少しでも自分が他人より上ならささやかな自尊心が満たされて満足する、そんな集まりになってしまうことって往々にしてあるんじゃなかろうか。
それともこう考えてしまうおれはかなりひねくれているのだろうか。

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