テニスの試合はストレス

エッセイ

「次の試合、決めちゃいましたよ。来月です」

前回のダブルスのパートナーがLINEで送ってきた。
薄々来るんじゃないかとは思っていたが、やはり来たか。

で、この日もどっぷりと緊張の中、おれは出かけて行った。
いつもそうだが、試合会場に行くと全員自分よりも強そう(上手そう)に見える。

第一試合が始まった。
今回は前回の初戦の相手ほど強くは感じなかった。自分より上手いとは思わなかった。が、自分の調子が出ない。ラケット面の真ん中にボールが当たらない。前回は初戦から上手くいっていたリターンがまるでヒットしない。フレームショットも連発だ。
なぜだ!と思っているうちに試合は終わってしまった。
結果は6-1で負け。
負けたことは別に悔しくないが、調子が出ないまま終わってしまったのが残念だった。

第二試合。
結構早いサーブとストロークを持つ相手だった。
「強いな」と思ったが、結果は6-3で勝ってしまった。相手の打球は確かに強かったがその分ミスも多く、最後は我慢比べの様相を呈し、向こうの自滅で勝利した。相手の自滅で勝つというのも複雑な気分だった。

第三試合。
これは練習中から見ていたのだが、おれは明らかに「格下」と判断していた。
「楽勝だ・・・」と心の中でほくそ笑んでいた。
ところがゲームが始まると初戦と同じように全く調子が出ず、「こんなはずはない、負けるわけが無い」と思えば思うほど空回りし、気がつけばなんと6-0で負けていた。
このゲームの中で一度でも気持ちく打てたショットがあっただろうか。多分ない。
後でコーチが言っていた。
「相手に自分のテニスをさせないということは、そのチームは強いんですよ」

おれはある意味テニスの試合は精神修養と考えていた。
しかしこれは間違っているのかもしれない。ゲームなんだから本来は楽しいものであるはずだ。
きっとしょっちゅう試合に出ている人は楽しいから出ているんだろう。
おれの場合、スクールでの球打ちがストレス発散で楽しかっただけで、最初から試合志向でもなければ試合で勝ちたいなんていう意識も皆無だった。
しかし試合に出続けている人は明らかに違う。
彼らは試合が楽しくて、そして勝ちたいのだ。
今回の試合後、打ち上げ兼忘年会でみんなの話を聞いていてそれがよく分かった。

ダブルスを組んだやつがおれに聞いた。
「勝ちたいと思うでしょ」
「もちろん。そりゃ負けるよか勝った方がいいでしょ」
おれは心にもないことを言った
私の中ではテニスの試合というのは、ド緊張の中に我が身を置いて、
そのプレッシャーの中で自分に負けないという、自己鍛錬の場としての位置付けになっていた。
だからできれば出たくない。しかし自分を鍛えるために出るのだ!
目的はそこにあって、勝ち負けなんかどうでもよかった。

しかし同時におれは最近コーチでもないのに毎週参加している少年野球のことが思い浮かんだ。
土日、祝日も関係なしに、子どもたちは毎週朝から夕方まで練習している。
でも勝てない。反省もしない(ように見える)。
彼らも試合の勝ち負けにはほとんど執着していないように見えなくもない。
みんなでわいわいやる練習が楽しいだけなんだろうか。
不真面目なわけではなく、みんな一生懸命練習している。
でも勝てない。そもそも勝つ気が無いのか?
おれがテニスの試合で勝てないのも勝ちたいと真剣に思っていないからだろうか。
でも、別にどうしても勝ちたいと思っていないものを、無理に「勝ちたい」なんて思えないし、これは努力でどうにかなるものでもない。
年明けの試合も申し込むとか言っているんだけど、困ったなぁ・・・。

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