パワースポット「天河神社」は遠かった・・・前編

パワースポット

インドから帰って日吉の霊能者を訪れ、当たったとも当たらなかったとも言えない(そこが占いのミソ!)予言を聞いた。インドに一緒に行った前の会社の戦友いかりくんはおれの話しを聞き、早速本人も日吉に行った。
「どうだった?」と聞くと、
「うーん、当たってるっていえば当たっているのかもしれないけど、うーん、なんとも言えないね」

それから約半年後、おれといかりくんは奈良県の山腹にある天河神社を目指していた。正しくは「天河大辨財天社」というらしい。これもインドで知り合った女性から、「日本でも数少ないパワースポットなの」と聞いていたのだ。
今考えれば、日本にパワースポットなんて、他にいくらでもあるのだろうが、この時期我々はベストセラーだった『聖なる予言』にハマっていて、それに出てくる「偶然の一致」を楽しんでいたフシがある。だから今、この時期にこの女性からこういう話を聞くというのは何か意味があるのだろう、と思い込んで喜んでいたのだと思う。
おれたちは9月にお互い有給を取り、一路天河村を目指した。

当時はやっとWindows95が出たばかりの時期なので、情報は普通旅行誌だが、おれはニフティサーブ(なつかしい!)の掲示板で宿泊情報その他を集めた。順当に考えれば、新幹線で京都まで行って、在来線で奈良に出て、そこからレンタカーというのが一番現実的な経路だったろう。しかし少しでも歩きたくないおれたちは、いかりくんの住む千葉県市川から彼の車で行くことにした。東名高速をひたすら南下して行ったのだ。

出発してまもなく、ちょっとこれは見通しが甘かったと薄々感じ始めていた。
厚木あたりで早くも渋滞にはまったときにはそれは確信に近くなった。
「まあ何時に着かなくちゃいけないって訳じゃないし、夕飯までに着ければいいよね」
と自分たちで納得することにした。
その時の車は三菱のRVRで、当時にしては珍しく小さなテレビがついていた。高速の上ではしばらくそれを見ていたのだが、だんだん電波の入りが悪くなってくるとカセット(CDではない)に切り替えたが、この時いかりくんはなぜか森高千里のアルバム1本しか持ってこなかった。
「なんで森高?しかも1本だけ?」
とおれはネチネチと追及したが、無いものは無い。

浜松のサービスエリアで遅い昼食をとった。
この時既におれたちはかなり飽きていた。
食べ終わった後もダラダラといたずらに時間を無駄にし、この先どっちが運転するかというおよそ建設的ではないなすりあいをし、ジャンケンで運転区間を決め、あきらめて再び出発した。

高速も終盤にかかると、じゃんけんで負けて運転をすることになった腹いせか、いかりくんはおもむろに怪談話を仕掛けてきた。おれは怖い話というのが大っキライだ。深い理由はなく、ただ怖いからイヤなだけなのだ。『リング』を初めて観た時、おれは心のそこからぞっとした。ちょうど10時過ぎから見始めたので、ラストの貞子がテレビから出てくるクライマックスは12時を過ぎていた。あまりに怖くて早送りしてしまった。

さて、やっと京都に入って一安心。しかしおれたちの認識はここでも全く甘かった。高速を降りてからというもの、行けども行けどもたどり着けない。渋滞もあったが、そもそも一体何キロの道のりだったのだろう。「夕飯までには・・・」どころの騒ぎではない。あたりが暗くなってきても、おれたちの車は目的地からはるか遠くにいた。

つづく⇒パワースポット「天河神社」は遠かった・・・中編

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