転職日記|業界新聞のお仕事

転職日記

今までの18年間を今振り返ってみると、楽しかったと思える記憶がほとんどないことに愕然とする。
確かに鍛えられはした。
最初に入った会社が9時5時ノルマなし残業なし休日出勤もちろんなしという、ぬるま湯どころか温泉と言ったほうがいいくらいの会社だったが、転職先の会社はと言えば営業ノルマは当然、時間無制限サービス残業当たり前、言葉の暴力によるパワハラ日常茶飯事、ピンチになった時の上司のカバー及びフォロー一切なしという会社だった。

「新聞記者募集」というふれこみだったが、それは「営業ありき」のなんちゃって記者だった。
業界紙の営業とは購読の拡張員ではなく、「広告営業」だ。取材にかこつけて実は広告のお願いをする。広告を出さない企業の記事は書かない(書いてもボツになる)。
「まずは広告を取って来い、書くのはそれからだ」
というのが経営者の基本方針で、広告の取れない奴はすぐにお荷物の烙印を押され、退職に追い込まれていった。
逆に広告さえ取れれば記事など書けなくても良しとされた。

日中は取材と称する広告営業に駆け回り、夕方帰社。
添加物たっぷりの超不健康出前の夕食をとってから一日の後半戦が始まる。夜に原稿を書くのだ。
当然会社を出るのは10時~11時過ぎになる。世の中にはもっと劣悪な環境のブラック会社が山ほどあるだろうから別に自分のいた会社がそれほど異常だったとは思わないが、自分の人生の失敗のひとつにはこの不健康夕食を10年以上も毎日食べ続けたことが挙げられる。
夕食は蕎麦屋か中華のどちらかで、特に中華のほうは見るからに古い油、大量の食塩、大量の調味料を使っているのが素人目にもよく分かった。しかし若かったこともあり、あまり深刻には考えずに毎日食べ続けていた。これが何年も続けば当然体内に毒素も蓄積するだろうし、おれは自分で自分のカラダをせっせと酸化させていたわけだ。

話しは戻っておれの配属された編集部はドラッグストア向けの専門紙だった。
業界紙なので一般の人が読むということはない。もちろん駅売店などには置いてない。
おれの仕事は製薬メーカーへ行って広告を取ってくることとニュースがあれば、それを詳しく聞いてくること、そして薬局に取材に行ってそれを記事にすることだった。

初めての中途採用ということもあり、自分の中のプライドとして「役に立たない奴」とだけはどんなことがあっても思われたくなかった。主任もどきの社長にも認められたいという単純な思いもあった。だから入社後は無我夢中だった。なにしろ「温泉」から出てきたばっかりだ。まさに猪突猛進のような状態で、今思えばよくそんなことが出来たと我ながら感心(寒心?)する。

薬局やドラッグストアの取材と言っても、相手にしてみれば営業時間中に聞いたこともない業界紙の人間が突然来て、売上げはどうだとかアイテム数がどうだとかいろいろ業務のことを聞かれても迷惑以外の何物でもないだろう。自分の業務が中断されるだけで店の宣伝になるわけでもない。
そしてもうひとつの問題としては、おれはこの編集部に約3年程いたのだが、どうしてもこの業界に興味が持てなかったという自分自身の問題があった。入社当時からそれはもちろん気付いていたが、それでも「自分は役に立つ人間なのだ」と早く認めさせたかったのでがむしゃらに働いていた。

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