熱中症

少年野球
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1993年は記録的な冷夏でコメ騒動が起き、タイ米が多く流通した年だった。
タイ米は覚えているが、そんなに冷夏だった記憶がない。
1993年と言えば、私が過酷な業界新聞の会社に転職して3年目を迎えた年だ。

私の冷夏の記憶はそれよりも1982年。
大学生だった私は8月のある曇りの肌寒い日、第1作目の『ゴジラ』(1954年作品)と2作目の『ゴジラの逆襲』(1955年作品)が池袋の確かロサ会館だったと思うが、そこで同時上映していると知って行こうしていた。
するとまさに出がけにある女子から電話がかかってきて、

「何してるの?」
「これからゴジラの第1作目を観に行くのだ」
「あたしも行く」

女子がゴジラなんか観たって面白くもないんじゃないか。
そんなことを思いながら池袋のパルコの中の書店で待ち合わせたのだった。
この時も夏だというのに妙に肌寒かったのを覚えている。
その夏、私の生活はすさんでおり、バイト難民でなかなかバイトが見つからず、事務所移転に伴う引っ越しのような日雇いの力仕事のバイトや交通量調査など短期のバイトを細々と続けていた。

話は突然現在に戻るが今年の猛暑。
これはすさまじいものを感じる。
幸い私の仕事は社内にいることがほとんどなのでそんなに被害はないのだがそれでもたまに外に出ると尋常でない気候の変化を感じる。
そして全く理解できないのが私の息子がやってる少年野球の世界だ。
この異常な炎天下でも他のシーズンと同じように朝から夕方まで練習している。
こんなことやってるのは野球業界だけではないか。
たぶん中学校とか高校の野球部も同じなんじゃないだろうか。

真夏に部活というのは中高生の定番で、自分もハンドボール部にいた時は炎天下でやっていたが、当時の炎天下と今の炎天下はまるで別物だ。
当時はせいぜい30℃、ちょっと暑くて31℃程度だったのが、今や38℃だ。
オゾン層の破壊で紫外線の強さもより狂暴になっているだろう。
こんな中で運動するということは熱中症になるためにやってるようなものだ(そういえば昔は「熱中症」なんて言葉は無くて「日射病」と言ってた)。
「20分に1回くらい休ませ給水させている、具合が悪くなったらすぐに言うように指導している」とはいうものの、根性論がいまだにまかり通っている野球業界で果たして「ぼく、具合悪いです」と名乗り出ることができる子供が一体どれくらいいるのだろう。

私はこの時期、一年の中でも最高に忙しくメンタル的にもハードな時期で、ほとんど練習には参加できないのだが、我が少年野球チームは毎週土日、朝8時集合、解散5時というのが続いていた。
「誰か具合悪くなる奴いないのか、お前は大丈夫なのか」と子供に聞くと、「誰々が途中でリタイアした、おれはまだ大丈夫」とか言ってる。
そんな中、愛知で小学1年生の子が課外授業中に熱中症で死亡したというニュースが流れた。
校長は「判断が甘かった」などと謝罪会見を開いていたが、死んでしまったら「甘かった・・・」などで済まされる話ではない。
さすがに私も毎週土日に子供を送り出すことに非常に不安を感じるようになっていた。
改善がないならやめさせてしまおうか。

野球なんかやらなくても死ぬことはないが、この炎天下で野球を続けたら死ぬかもしれない。

そんなある日曜日、私はいつものように休日サービス出勤をしていて夜、家に帰ると子供の元気がない。
聞くと、途中で具合が悪くなって練習から外れたという。
それもたまたまそこにいた他のチームのコーチが、「あのショートの子、様子が変だよ」とうちのチームのコーチに教えてくれて分かったそうだ。
もしそのまま続けていたらぶっ倒れていたかもしれない。
「今日はもう寝なさい」と、まだ8時くらいだったが強制的に寝かせようとした。

布団に入れて20分くらいして見に行くと、この暑いのに布団にすっぽりくるまっていた。
「どうしたんだ、まさか寒いのか?」
「寒い・・・」
マジかよ。
「頭も痛い・・・」
心なしか呼吸も乱れている。
これが熱中症か!
「病院行くぞ!」
私はすぐに車を出して夜間救急に連れて行った。

結果、大事には至らなかったが、医師が言うには子供は具合が悪くなっても自分でも分からないことが多く、気が付いたら病院のベッドの上、ということが多いそうだ。
だから「気分が悪くなったら言えよ」と言ってもあまり意味がないらしい。
いっそのこと県が「気温が34度を超えたら屋外での部活、スポーツをはじめその他一切の活動を禁止する」と条例でも出してくれればいいのだ。
おそらく身近に死者が出なけりゃ分からないだろう。
しかしそうなってからでは遅いのだ。

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