面接日記 その2(フィットネスクラブ編)

面接日記

「勝ち組」どころか完全にスピンアウトしてしまったおれは、まったく一からの出直しとなってしまった。
例の製薬メーカーの対応があまりにも悔しかったので競合の会社を受けようと思った。
またいくつかの資料を取り寄せた。その中で、ある有名製薬会社の企業案内のパンフレットを見た時、おれの製薬プロパーへのこだわりは一瞬にして消えてしまった。
そこには動物実験のグロテスクな写真がでかく載っていた。
そうなのだ、人間が当たり前のように使っている薬は、猿や犬や猫、ウサギ、マウスなどの犠牲によって成り立っているのだ。その犠牲の数は天文学的な数字であることは疑いようもない。そういう会社をおれはこのまま目指すのか。こういうことを言うとすぐに「偽善者」だの「じゃあ肉も食うな」とか言いだすヤツがいるが、それは全然話が別。
まあそもそも製薬メーカーを目指した動機だって軽すぎるものであった。

「方向性を変えるか…」
もう9月にさしかかっていた。今から全部やりなおしというのは考えただけでもうんざりする選択だった。
この半年間の努力が無駄になってしまう。これ、決して無駄な努力だったわけではないということは、大人になった今でこそ理解できるが当時のおれにはそんな解釈はできなかった。
しかし結局仕切り直しで最初から始めることにした。

「何をやりたいか…」
考えてみると、そう、おれはもともと体育の教師になりたかったのだ、高校生の時までは。
自分が体操部にいたということもあったが、理由はそんなことではなかった。
当時考えていたのは、運動の苦手な子にとって、体育祭とか水泳大会は1年のうちで最もつまらない日だろう。
今まで自分が受けてきた体育の授業とは、例外なく運動の苦手な子を苦手でなくなるようにする授業ではなかった。
だから自分は運動の苦手な子が楽しくなるような授業にしたい、そんな思いで体育学部を受けたのだった。

【話し 脱線】
「体育の教師になろう。そのためにも体育学部に行くぞ」
高校3年の夏、おれは「これぞ自分の使命」と熱くなり、体育学部を目指すことにした。しかし問題が一つあった。
当時、受験と言えば英語、現代国語&古文、社会(歴史or地理)の3科目がほとんどだった。
私は田舎の新設校に通っていたので自慢じゃないが成績はかなり優秀だった。どれくらい優秀だったかというと、入学式で「生徒宣誓」というのをやった。これは入学試験の成績が2位だったことによる。なぜ1位の子でなく2位の私がやったのか、それは1位の子が女子で、声が小さいだろうということで私に回って来たのだ。
私の通知表というのはどう考えても理系向きであった。数学、物理、化学の成績が特に良かった。現物が残っていないのであくまでも記憶だが5段階評価で行くと
英語4、国語3、数学5、物理5、化学5、生物3、体育4、地理3、歴史3
というような感じだった。
物理と化学が良かったのは、それらの教科が好きだとか得意だとかよく理解しているとかではなく、数学がわりと好きだったのでその延長線で試験はできた、というだけの話である。事実、公式だけ覚えて臨んだ物理の期末試験では、本当に100点を取ったことがある。私がその時やったことと言えば、この時はこの公式、こういう場合はこの公式で、という組み合わせを覚えておいただけだった。

体育学部を受けるにあたっての問題、それは大抵必須課目にある社会科(歴史)が全く分からないことだった。
どれくらい分からないか、それはもう「無知」に等しいくらい分からなかった。
日本史も世界史も分からない、いや、知らなかった。
私は中学の社会科の授業、3年間にわたって出席しなかったんじゃないかと思えるくらい知らなかった。
だから受験で社会科が必須でない大学に行きたい、しかも体育学部。
しかしただでさえ体育学部のある大学なんて少ないのだ。そんな大学あるのだろうか。

・・・あった・・・。
埼玉県にひとつだけ、国語、英語、数学で受験できる大学があった。
まずはそこに推薦枠で応募した。
推薦の場合、実技試験と面接だけだったように思う。あ、もしかしたら筆記もあったのかなあ。
推薦は当然受験シーズン前、つまり秋に行われる。
体育学部の実技試験にはなんとマット運動と跳び箱があった。
何と言っても私は現役の体操部(同好会)だったので、これは専門分野でもある。
自分の順番が来るまで他の受験生の実技を見ていたが、「みんなホントにそれで体育の教師になるつもりか?」と思えるようなやつばかりだった。
自分の番になった。私の演技に「おおっ」と声が聞こえた。
これで合格か、戦わずして勝ったな、ふふふ
が、結果は不合格だった。

なぜだ!納得できない!
頭に来たので「ようしそれなら」と、2月の入試で再び受験することにした。

2月の試験では学科3科目と実技試験のガチである。
この実技試験でおれの前にいた奴、バスケットボールのドリブルではボールをキープできずにどこかへ飛ばしてしまい、陸上のハードル走をやらせればハードルを全部倒していくし、マット運動なんかもちろん何もできなかった。
なぜこいつは体育学部を受けてる!?
ところが、結果はそいつが受かっておれは再び不合格という何とも理不尽な結果となった。実技試験では何もできなかったそいつが受かり、体操部の身体能力に物を言わせ完璧な実技(だったと信じたい・・・)を見せたおれが落ちるとはどういうことだ。
しいて思い当たることといえば…数学のテストだろうか。
私は割と数学が好きで、今回の受験でも数学一本で来た。予備校の夏期講習、冬期講習も参加した。問題集もそれなりにこなしてきたつもりだった。
唯一くじけそうになったのは代々木ゼミナールの模試だった。ここの数学の試験は本当に難しかったが、それは周りも同じだったようだ。なぜなら、問題はたったの4問。そのうちおれは1問だけ正解したが、それで平均点を超えてしまった。
それからさらに精進を重ねたつもりだが、この大学の入試の数学の問題はしみじみとため息が出るほど難しかった。ここまで難しくする必要がどこにあるのだろうか。同時に、数学というのは果てしなく難しい問題が作れるのだなと、心が折れた。

【話し 戻る】
そうだ、おれはもともと体育の教師になりたかったのだ!
己の使命を思い出したおれは考えた。
今から体育の教師なんて無理だ。ではどうしたらいいか。
ちょうどその時期、フィットネスクラブというものが出来始めた時代だった。
「そうだ、幼児体操教室!」
これなら別に教員免許なんて無くてもいいだろう。
幼児と言わず、子供でも中学生でもいい。全国に運動音痴の子はいくらでもいるはずだ。
勉強のための塾があるなら運動のための塾があってもいいではないか!
そうだ、おれは全国の運動神経の鈍い子供たちを救うのだ!
もうみんな体育祭で恥をかかなくてもいいぞ!

おれは一人で熱くなり、次なる目標をスポーツクラブのインストラクターに定めたのだった。

つづく⇒面接日記 その3(フィットネスクラブ編の続き)

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