駅立ち

エッセイ

選挙のシーズン(?)だ。また駅前がうるさくなるのだろう。
私の使っている田舎駅では選挙に関係なく、毎月必ず誰かしら「駅立ち」をやっている。
これが迷惑この上ない。
特に今、駅の改装工事をしていて改札前が狭くなっているのにそんなことまるでお構いなしにど真ん中に立って自分の名前を連呼している。
こんな空気の読めないヤツに政治なんか任せられるか。 特にいつも黄色いジャンパーを着ているヤツがいて、「こいつにだけは絶対投票しない」と私は心に決めている。

大体あの「駅立ち」とはいつ、誰が始めたものなのだろう。
通常の街頭演説と違って、朝の忙しい時間に足を止めるやつなんているわけもなく、そいつの話なんか誰も聞いてない。
しかしあれを見て、
「うん、なかなか彼も頑張ってるな。よし、次の選挙では彼に投票してやろう」
なんて考える人がこの世に存在するとは思えない。いや、意外にいるんだろうか。もしあれに効果があるとしたら、マーケティングの基礎から私は考えを改めなければならない。

私の受け止め方がひねくれているのかもしれないが、どうせ聞いてもらえない演説を朝のラッシュ時にやるというのは、自己満足のたまものか、あるいは名前を覚えてもらうための稚拙な演出、でなければ「私はこんなに頑張ってまーす」という時代遅れのPRでしかない。
ある市議のプロフィールに「5年間、毎月2回駅立ちをしました」みたいなことが書かれているのを見たことがあるが、それがどうしたと言いたい。だからなんだと言いたい。毎月通行人の邪魔をしてきただけじゃないか。
もしかしたら下手なマーケティングコンサルタントかなんかに
「人の脳というのは10秒間に5回同じ名前を聞くとインプットされます。だからとにかく自分の名前を繰り返してください」
などとアドバイスされたのだろうか。
「10日以内に同じ顔を同じ場所で見ると、人の脳というものは強烈にインプットされ・・・」
などとアドバイスされたのだろうか。
とにかく朝、駅前に、とくに私の地元では改札口前に立つという行為のは通勤客の邪魔以外の何物でもなく、逆効果であるということに彼らは気づくべきだ。

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