国内最強パワースポット!③「神の宿る山」三輪山に登る

パワースポット

伊勢神宮から次なる目的地は「奈良」。
今回のもう一つの目的は奈良にある日本最古の神社といわれる大神(おおみわ)神社の御神体でもある三輪山に登ることだ。
三輪山は「神の宿る山」と言われるくらい神聖なものらしい。
この大神神社は昨年5月にも一度来たことがあるのだが、その時はコロナの影響で三輪山に登ることができなかった。もっともこの頃はまだ山登り自体が好きではなく、コロナの影響が無くても登らなかっただろう。

昨年は「(実体として)龍を見る(感じる)」がメインテーマだったので、大神神社がそもそも何なのか、ということは全く知らず、たまたまYoutubeで誰かが「江原啓之とゲッターズ飯田が大絶賛」とか言ってるのを見て行ってみただけだった。
かと言って今回もそれほどこの神社に対しての理解が深まっていたわけではないが、今回は特に龍がどうのでもなく、さらに昨年9月に初めて富士山に登って以来、登山に対してはあまり抵抗がなくなっていた。
目的はあくまでも「神の山」に登ることだった。

この御神体の三輪山、「撮影は一切禁止」ということだ。
なんでだろう・・・。何かそこには大きな謎が見え隠れしているようだ。
Youtubeで検索しても、確かに登山風景を動画に残している人は一人もいない。
ブログで検索しても、登山の入り口までで、その先の画像は見当たらない。
あの登山入り口の向こうは一体どうなっているのだろう。
ぜひ自分の目で確かめてみたい。

伊勢から奈良へは電車で3時間くらいかかった。
前回同様に奈良駅前の「スーパーホテルLohas」に泊まった。ここは駅前なのに安くて温泉もあって朝食も美味しいのだ。
そして朝は前回同様の時間に出発した。


当日の天気は曇り空。
奈良は昨日、ずっと雨が降っていたはずだった。
この日は雨はやんでいたが登山道は結構なぬかるみになっていたり、滑りやすくなっているかもしれない。


前回も同じ時間に来て、大神神社のあるJR三輪駅で降りたのは自分一人だったが、今回はいかにも登山ルックスに身を包んだ20人くらいがぞろぞろと降りて行った。この駅で降りて登山と言ったら三輪山くらいしかない。
思った通りそいつらはみんな大神神社の方向に歩いて行った。

前回は誰もいなかった大神神社の拝殿の前も今回は結構にぎやかだった。



三輪山は高さ467m。
と聞くと「なんだそんなもん?」という印象を受けるかもしれないが、平地を歩く436mと標高436mを登るのとはわけが違う。富士山なんかではたった100mを登るのに1時間以上かかることもある。

三輪山への入り口は大神神社の境内にある狭井(さい)神社の脇にある。
というかそこしかない。
登山の受付は9時から正午までで、午後3時までに下山しなければならない。
登拝料300円。申込用紙を書くのだが、個人情報と緊急連絡先も必須である。
そして登山にあたっての注意事項が社務所の人から告げられる。
「これは観光でもハイキングでもなく、あくまでも参拝なのでそのつもりで登ってください。撮影は一切禁止です。飲食も水分補給以外はダメです。ゴミも捨ててはいけません。トイレはありません。石などを持ち帰ったりしてはいけません。往復で3~4時間かかると思いますが、登山道は急なところが多いので無理せず引き返しても結構です。戻ったら必ず社務所に報告してください。報告が無いと山岳救助隊に連絡することになります」
と社務所の人は厳しい顔で言い、「三輪山参拝証」というタスキを渡された(要返却)。
他にも注意書きでは会話も極力禁止、というようなことまで書いてあった。


渡されたタスキをかけ、登る門(?)をくぐる前にお祓い棒で自分でお祓いをして、それからやっと門をくぐる。



多分気のせいか自己暗示のせいだと思うが、そこをくぐった瞬間空気が変わった、ような気がした。
まさに「神域」に足を踏み入れた感覚だ。空気全体が柔らかい。
登山道は前情報通り、全く楽ではない。
急勾配はもちろん、岩場や木の根だらけの道も多い。
しかし往復の間になんと裸足で行く強者を3名ほど見かけた。彼らの足の裏は一体どうなっているのだろう。

かなり険しい登山道ではあったが、富士山のように高山ではないのでさすがに空気が薄いということはない。
小さな小川が登山道に沿って流れている。
高尾山の6号路も脇に小川が流れていたが、三輪山のそれはもっと繊細かつ身近で、まるで山を登っていく人を癒すような「音」をたてていた。
ミニチュアのような小川、そしてミニチュアのような小さい滝が優しい。
そして風が木々を揺らす音も柔らかく、歓迎しているような背中を押してくれているような温かいものを感じた。
何だろうこの感覚は・・・。


467mといってもなかなか頂上へはたどり着けない。
やっとのことでたどり着くと、そこには小さな祠があった。
近くで瞑想している人もいる。
ここでみんな何かお願い事をしていくのだろうか。いや、多分感謝の気持ちを伝えてくだけなのだろう。そもそもそれが本来の「参拝」の在り方だと誰かが言ってた。

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