ノロウィルス

育児の部屋

 2年前の2月、まだ子供が1歳半のとき、急に下痢をしたり吐くようになった。
1日2日で治ればいいが、いつまでたっても治らない。
3日目の夜、これはちょっとただ事ではないのではないかと思い、夜間小児急患受付の診療所に連れて行った。
とりあえず薬と強力ポカリスウェットみたいのをもらってきた。しかし症状は一向に良くならない。我々パパママ初心者はあせりにあせり、翌朝、いわゆるかかりつけのクリニックに連れて行った。
「下痢は脱水状態になりやすいので水分補給はどんどんやってください。リンゴジュースなんかもいいですよ」とまた薬をもらった。
それでも子供の状況はあまり良くならなかった。

週末、七田チャイルドアカデミーの発表会があったが、まあ歩けないとか熱があるとかではないので参加させた。その帰り、妻の様態が急変した。車の中で突然「気持ち悪い」と言って伏せてしまった。家に着くころにはもう歩くのも辛いという状態になった。子供もぶり返したようにうつろな顔をしている。
その日は日曜日で医者なんかどこもやってない。救急病院か・・・。
「そうだ」とおれは前に一度行った隣町にある「小児専門クリニック」に電話してみた。
「すぐ連れてきなさい」
二人を連れてすぐに出向くと門を開けてくれた。
この時、どう見ても妻のほうが具合が悪そうだったが、その医者は「まずは子供からだ!」と怒ったように言って子供を診た。そして妻を診て、急場しのぎの薬を出しておしまいだった。
家に帰ってから、妻はそのまま寝込んでしまったが、翌日にはだいぶ回復したようだった。ところが子供はいつまでたっても良くならない。
症状が出始めてから一週間くらいたったとき、子供はミルクを飲めばすぐにそのまま下痢として下るか吐くかのどちらかという状況になった。
これはどう見ても普通の風邪とかじゃないだろう。会社を半休してもう一度かかりつけのクリニックに連れて行った。
「吐いても下痢でもいいから、とにかく脱水症状を避けなければならないので水分とらせてください」といってさらに何日分かの薬が出た。
そしておれはそのまま会社に行った。
3時ごろ、妻から電話がかかってきた。
「様子がおかしい。目の下もくぼんできて、なんか顔が変わっちゃったよ」
「え、呼吸とかおかしいのか」
「顔が変わっちゃった。なんかヘンだよ」
「でも朝、診てもらったばかりなのに。救急車呼ぶか」
「もう一度(クリニックに)電話してみる」

そのままおれは会議に入ってしまった。1時間後、席に戻ると
「奥さんから電話アリ。市立病院に行くそうです」
とメモが貼ってあった。おれは血が逆流した。
「これ、いつ電話あったの」
「30~40分前ですかね」
「なんでこういうこと早く知らせないんだよっ!」
おれはすぐに電話したが、病院の中にいるのか移動中なのか、つながらなかった。
おれはすぐに会社を飛び出した。
子供の一大事に仕事なんかしてられっか!
「家族より大切な仕事などない」というのがもっかの私の信条なのだ。
おそらくこれを幕末の志士が聞いたら「それでもおぬし武士かっ!」とたちどころに斬り捨てられてしまうことだろう。もし戦時下の日本だったら「貴様、それでも日本男児かっ!」とたちまち連行され、軍法会議にかけられ非国民として扱われたであろう。
でも今のおれにとって子供の命は地球よりもはるかに重いのだ。
もしおれが古代マヤ文明に生まれていて、神官に「お前の子供が生贄に選ばれた。ひいては満月の夜、儀式を行うのでマチュピチュの神殿に献ずるように」などと言われたら、おれは間違いなく家族を連れて脱藩、いや国外逃亡を図ったであろう。

話しはそれたが会社から病院まで、ゆうに1時間以上かかる。電車の中で、おれはあらゆるシチュエーションのパターンを想像した。大体人間というものは、不安なときには悪い想像しかできないものだ。おれもあらゆるまずいパターンをいろいろ想像していた。
最悪なのはおれが病院に着いたとき、既に時遅し、子供はベッドの上で永遠の眠りにつき妻は半狂乱に泣きわめいている・・・そんな光景だったとしたら、たぶんおれは発狂してしまうだろう。そう思うと、光市母子殺人事件の被害者遺族の本村さんは本当に強いと思う。この強さというのは尋常ではない。

つづく

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