伝説のライブハウス『甚六屋』(じんろくや)

アコギの部屋

今(2019年11月)からおよそ37年か40年前、北千住に『甚六屋』という小さなライブハウスがあった。ここはアマチュアシンガーソングライターたちの聖地でもあった。

月に2回ほど「新人コンサート」というのがあって、毎回アマチュア(というより素人)の弾き語り野郎たちが集まり、自分で作った歌を「どやっ!」と披露していた。

当然と言えば当然だが現在の北千住駅は駅前開発とともに随分と変わってしまっているので、今、駅に降り立ってもどう行ったのか見当もつかないくらい景色は変貌しているが、当時は商店街をてくてく歩いて大通りに出て右折してしばらく歩いたところのビルの2Fだか3Fだかにあったのではと記憶している。

店の広さはこれももう完全にうら覚えの世界だが、前方に奥行き2m、段差10cm、横幅4mくらいのステージがあり、客席が4人掛け(3人かも)×2段×4列(5列かも)ぐらいの極狭空間だった。客席の椅子も情報によるとビールケースをひっくり返し、そこに座布団を乗せただけ、という話もあり、確かにそんな感じだったかもしれない。

出演希望者は当日電話をして申し込む。これは無料だが確か先着20組くらいではなかったろうか。つまり出演者イコール観客、ということになる。そして歌う順番は店に着いた順だったと思う。7時くらいにスタートして持ち時間は一人(1グループ)準備と片付け含めて8分か10分だったかな。とにかく2曲までだ。

準備と片付け、というのは、みんなギターケースをステージの奥の壁に並べて立てかけ置かなければならないので、前の人が終わったら速やかにステージの壁に並べてある自分のギターを出して準備し、同時に前に歌っていた人は自分のギターをしまう、という作業が行われる。まあ20人がギターを持って来れば相当場所もとる。その置き場とステージが兼用だったというか、そこしかなかったのだ。

出演者は狭い店内で肩を寄せ合いながら自分の番が回ってくるまでひたすらじっと待ち続ける。そして自分が歌い終わったらまた席に戻り、他の出演者のも最後まで聞くのがマナーだった。これは紳士協定というか暗黙のルールであった。出演者は全員自分が一番イケてると思っている。「お前ら!おれの魂の叫びを聞け!」とばかりに自作の歌を披露するのだ。みんな例外なく自分に酔いながら歌うのだが、そこは所詮素人ののど自慢で、これは言ってみれば、下手なカラオケを聞いているよりもキツいかも知れない。カラオケならまだ知ってる歌もあるだろうが、ここはほぼ100%、個人が作った、当然誰も知らない歌ばかりなのだ。こんなのを3時間も狭い密室で聞かされるというのはある意味拷問に近い。しかしそこはお互いさまで、みんなじっと他人の下手な歌を我慢しながらひたすら自分の出番を待ち、また自分が歌い終わった後も、一応紳士のマナーとして歌い逃げのようなことはしなかった。まあそこにいる全員がライバルなのだ。そして誰もが「自分が一番」と思いながら帰っていく。

古き良き昭和の一幕だ。

なんでこんなに覚えてるかというと、何を隠そう私も実はここには何度も通い詰めていたのだった。何をしに、といえば、当然「(自分が)歌いに」通っていたのだ。もはや黒歴史そのものである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました