私が業界専門誌の時代、後輩に星野よしお(仮名)という男がいた。北海道の函館出身でおそらく4つくらい年下だったと思う。外見は昔の漫画で「マカロニほうれんそう」というのがあったがその主人公のキンドーさんみたいだった。
おそらく彼が在籍したのは4年間くらいだったと思うが、独特な個性の持ち主ではあった。「営業」をゲーム感覚で楽しんでる節があり、普通なら誰もが嫌がる新規企業への電話入れなども全く苦にせずやっていた。新規への電話入れは「コールドコール」とも呼ばれているように、初めての会社に営業電話をかけるのだ。電話口で「結構です」「今忙しいので」と門前払いは当たり前で、担当者までたどり着ければラッキーだ。普通の人は門前払いが続くともう電話をかけること自体が嫌になる。
しかし星野よしおは展示会などで入手したガイドブックなどを見ながら「さ~て今日はどこからかけようかな~♪」と、まるでカラオケボックスで「次何歌おっかな~」と選曲しているような感じだった。
しかしこのメンタルは「営業」マンにとっては強力な武器となる。
とにかく当たる件数が多いので必然的にヒットする確率も増え、個人の売上数字はほかのメンバーよりも常に頭一個抜き出ていた。ただ残念なのは、彼にとっては契約を取ってきたらそこでステージクリアで、あとのフォローを全くしない。ひどいときには取ったことさえ忘れている。彼にとっては既に次のゲームに夢中なのだ。
また営業トークも彼はほとんどノリでしゃべるからいつも大風呂敷を広げて、現場で「話が違う」とクライアントに怒られていた。展示会の会期中など出展社から「星野はどこ行った!」などと追いかけられていたこともあった。
そんな彼が突然会社を辞めると言い出した。独立するのだという。何を考えているのだこいつは。そして彼は数か月後、本当に独立してしまった。そして始めたのは、今の会社が出している新聞をまるでコピーしたかのような新聞の発行とやはり似たようなテーマの展示会の開催だった。「そんなの上手く行くわけない」と誰しもが思った。社員がいるわけでもなく、全部彼一人でやらなければならない。たとえ営業はできたとしても、記事なんか書けないじゃないか。そうなのだ、彼は確かに広告や展示会営業は上手かったが、その分記事なんかほとんど書いていなかった。私の会社では各自が広告や展示会の小間取り営業と記事のライティングをやるのがルールだったが、営業成績が極端にいいと、記事はなんとなく免除される空気も確かにあった。
彼が会社をやめて数か月後、「創刊号ができたので持っていきます」と電話があった。彼は会社に来ると、出来立ての創刊号を私に見せた。コンテンツもレイアウトももともとうちが出していた新聞のまったくのコピーだったが、広告はそれなりに入っていた。そして記事もある。「これ、誰が書いたんだ?」「もちろん私が書きましたよ」と彼は胸を張ったが、本当は以前うちの会社を辞めていった者たちと連絡を取り合い、アルバイトで書いてもらったそうだ。「それからですねぇ、バックナンバーをなるべくたくさんほしいんですが・・・」そこに出ている広告をみながら営業するのだという。そして秋には、会場は小さいがちゃんと展示会も開催した。出来はさすがにお粗末ではあったが、毎年ちゃんと開催していた。新しくできた会社の多くが10年以内に倒産する、と何かで読んだ覚えがあるが、彼の会社は10年過ぎてもしぶとく存在していた。私はひそかに「スゴイ!」と思った。自分にはちょっと真似できない芸当だ。
そんな彼の会社がこの秋の展示会を最後に店じまいをした。17年が経っていた。そして彼は今、プロのユーチューバ―に転向した。スゴすぎる。
コメント