「感情のコントロールってできるもんなんですか?」
「ああ、それは無理だね。そんなの妄想だよ」
最近会社の後輩の女から尋ねられ、おれは即答した。
もうずいぶん前になるがジェームズ・スキナーという人気マーケティングコンサルタントにハマっていた時期があった。その時にもやはり「感情のコントロール」というのがあり、当時パワハラ社長と連日攻防を繰り返していたおれにとってはまさに必須のスキルだと思っていた。
当時の社長は人のモチベーションを破壊する天才だった。
なぜわざわざ自分の会社の社員のモチベーションを破壊するようなことばかりするのか全く謎だったが、本人的には「追いつめて結果を出させる」という認識だったのだろう。
人を「褒めて伸ばす」なんていう考えは微塵もなく、「人は追い詰めなければ動かない」と信じている人だった。だから営業ノルマも到底不可能な数字を要求され、毎週の会議で「まだこんなに足りない。お前は一体何をやっているんだ!」と叱咤される。
こんなのが何年も続いていた。当然離職率もひどいもんだった。
そんな中で成行き上、おれはある展示会プロジェクトの責任者になった。それは社内でも一番の利益を出していたもので、おれも入社以来ずっと関わってきたプロジェクトだった。
責任者になったので数名の「部下」がつく。
自分の使命はこのチームでこのプロジェクトを「大成功」に導くことだ。
チームのリーダーなどをやった人ならわかると思うが、数人集まればそれぞれ考えも気分の上げ下げも違うしメンバー同士の気が合う合わないの相性もある。これをまとめていくというのは結構難しい。
展示会事業というのは1年越しのプロジェクトで、長距離マラソンみたいなものでもある。その間おれは「部下」たちのモチベーションを保つ努力をしつつ全体の数字と自分のノルマを追わなければならなかった。
入社以来、このパワハラ社長にずっと追いつめられる環境の中で働いてきて、その中で先輩も後輩もどんどん辞めて行ってしまったのを実体験しているので、自分が部下を持ったらその逆をやろうと思っていた。
人は感情の生き物だから誰だって自尊心を傷つけられるようなことはされたくないし、褒めてやればどこまででも走れる奴もいる。もちろん褒めすぎると勘違いして天狗になってしまう奴もいたが・・・。
当時は「日報」というものを毎日全員書いて、帰る前に社長に提出するという習慣があった。
そしてこの「日報」は翌朝、社長が赤ペンでコメントを書いて戻ってくるというシステムだった。
ところがそのコメントが問題で、毎日毎日本当にやる気をなくすようなコメントばかりが汚い字で書かれてくる。よくも社員への罵詈雑言を毎日毎日書けるもんだとある意味感心するが、「今月目標まであと少しだから頑張ろう!」と思って朝出社して、机に戻っていた日報のコメントを見て無理やり奮い立たせていたモチベーションが瞬時に消滅、ということも日常茶飯事だった。
部下のモチベーションどころか自分のモチベーションを回復維持していくことが精一杯だったころ、この「感情のコントロール」という言葉を聞いた。
「物事に対して反応するのは自分だから、どう反応するかは自分で決める」というものだ。
有名なのがコップに半分入っている水を「半分しかない」ととるか「まだ半分もあるか」ととるかを決めるのは自分自身だ、という理屈だ。
その考え方の応用で、誰かに何かを言われた時やされた時に、そのことに対しどう解釈するかはその人次第、つまりこれが「感情のコントロール」というわけだ。
誰が考えたか知らないが、これは世紀の詭弁だとおれは思っている。
とある年末、仕事納めの日に当時の女子部下二人に「1杯だけ飲んでいこう」と誘われた。
おれ自身はアルコールを全く必要としない人なのであまり気が進まなかったがついて行った。
そこで一人が「来年の目標は何ですか?」と聞いてきた。
おれは「目標というか、来年のテーマは“感情のコントロール”だな」と答えた。
それからしばらくの間、本当におれはその習得に努力した。
しかし最終的に得た結論としては、「人の感情はそんなに都合よくできていない」ということだった。どんなに解釈に小細工をしようが、キライな奴はキライだし腹が立つときは腹が立つ。
これは人間の極めて自然な感情の反応でしかない。
「お前バカじゃないの?」と言われて笑顔になる奴はいないし「君スゴイじゃないか!」と言われて怒る奴もいない。
「瞬間的な感情のコントロールなんて誰にもできないが、時間をかければできる場合もある」というのが今の結論だ。
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