「記憶」というものは結構ウソをつくらしい。
精神分析学ではおそらくこれを明快に説明できるのかもしれないが、
これは実生活においてはなかなか厄介だ。前の会社の社長は超健忘症だった。
言ってもないことを
「何度も言ってんだろ!」
「この間も言ったろ!」
とか
「おれはそんなこと言ってない!」
「おれは聞いてない!」
とか、本当にやつの頭の構造を疑ったものだ。
まあ今回はさしてそう大げさなものではないが、
今、宇多田ひかるの復活で話題になってる「エヴァンゲリヲン新劇場版・Q」。
10年以上前、大人が夢中になったアニメだ。
当時、「アニメなんかにいい大人が・・・」とあからさまにバカにしていたのだが、後輩があまりに勧めるので見てみたら3話目でハマった。
しかしそうは言ってもやはり「アニメ」だ。
どうしても「アニメ」=「子供のもの」という固定観念が払しょくできない。
だから劇場版が出来た時、もうすぐ上映期間が終わるギリギリのしかも最終部のタイミングで人目を忍ぶように観に行った。
「エヴァンゲリオン」という作品は、その最終回のあり方を巡って大ブーイングが起き、それを終息させるために新たに映画版を作ったがそれでも収まらず(これがまたひどかった)、さらに「新劇場版」(しかも4部作だと)として作られるという前代未聞のグダグダぶりである。
あ、今の経緯は私の想像で、本当はもっと深い理由があったのかもしれないけど…。
2007年、「新劇場版・序」というのが出来た。
これはやはり前半部の総集編に近いものだったと記憶している。
2009年、「新劇場版・破」が公開された。
そしてこの11月、第3部目となる「新劇場版・Q」が公開された。
第2部を見たのはもう3年も前で、どこでどう終わったかなんて全然覚えていなかったから、
この前日テレでやってたやつを録画して見てみた。
「新劇場版・破 TV版」と書いてあったが、たぶんテレビ用に多少編集したんだろうくらいのつもりで観ていたが、なんか全く知らないストーリー展開になっている。
「あれ~こんなストーリーだったっけ・・・」
単に忘れているだけか。
しかし終盤に近付くにつれ、
「こんなの絶対知らないっ。初めて見た」
と確信に変わっていった。
ここまであからさまにストーリーが変わっていれば、覚えていないわけがない。
もしかしたら「TV版」というのは「新劇場版」をさらに変えたのだろうか。
カットするならまだしも、ストーリーを新たに大幅に書きなおすというのも考えにくい。
念のためウィキペディアで調べてみると、ウィキの解説に書いてある「破」のストーリーは
一昨日テレビで見たものと同じだ。ウィキペディアの記事がこの1日2日で急いで書きかえられたとも考えにくい。
じゃあなぜだろう・・・。
考えられることは、
もしかしたらおれはもともと「破」を見ていなかったんじゃないだろうか。
最初の「序」は春日部のシネコンで夜こっそりと観に行った。
それはよく覚えている。
じゃあ「破」はどこで見たんだろう・・・うーん思いだせない。
もし見たつもりでいて見ていなかったのなら、今回のストーリーが記憶になくても当然だ。
でもなあ、見ないわけないんだよなぁ。
そうだ!たぶん西新井のシネコンで会社帰りに見たんだ!そこしか考えられない。
そうだそうだ、確か最後の終わり方で次は期待できそうだと思ったんだ。
その記憶はハッキリしている。いや、それはもしかしたら「序」を見た時の次回の予告を見て次は期待できそうだ、と思ったんだろうか。
映画館に行くのは恥ずかしいからDVDになったら借りようと思っていて、実際は映画館にはいかなかったのだろうか。
あり得ない話ではない。
いやいや、たぶん西新井のシネコンに行ったよな。帰りが正面出入り口がしまっていて迷ったんだよ。うんうん思い出した。
じゃあなぜこれだけ変更されたストーリーを全然覚えていないのだろう。
不思議だ・・・。
コメント