本棚にあるもの

本棚

ぼくはこれでもかなり本は読むほうだと思っていた。通勤バッグの中には大体常時3冊くらいの本が入っている。本が溜まると鬼嫁が邪魔だと怒るので、読んだ本はどんどんAmazonマーケットプレイスに売りに出している。
ただ、読むジャンルが非常に偏っているのも事実だ。以前はエッセイと実用書ばかりでここ数年はどうしてもビジネス書と実用書のほかノンフィクション、エッセイ類が多い。
何が言いたいかというと、いわゆる「小説」をほとんど読んでこなかった。大学では一応文学部だったが、文学らしきものはほとんど読んだ記憶がない。今になってこれはものすごい損失をしてきたと感じる。
 ぼくの父親は恐ろしくたくさんの本を読んでいた。当時の我が家には、廊下や玄関など、壁があるところに次々と本棚が設置されていった。それらは全部親父が自分で材木を買ってきて、日曜大工で器用に本棚を壁にくくりつけていくのだ。今思えばどうやったのか分からないが、本も集まれば結構な重量になるだろう。しかし親父の作った本棚はどれもしっかり壁に固定され、崩れ落ちるようなことはなかった。そしてそこに並ぶ本はというと文庫、新書、歴史もの、日本文学、海外文学、科学書など実に多くの「真面目な本」が並んでいた。とくに新書は岩波新書をはじめ、中公新書、新潮新書など、新書を集めるのがまるで趣味かのようにかなりの種類が揃っていた。彼も一種の活字中毒者だったのかもしれない。一体そこに何冊あったのか想像もつかないが、ちょっと大げさに言えば我が家は本で埋め尽くされていた。

親父は中学の理科の教師だった。しかし自分の子供の教育にはまるで関心を見せなかったが、ぼくが「(みんなも行ってるから)塾に行きたい」とか「アルバイトしたい」とか言うと決まって「そんな時間があったら世界文学全集読め」「日本文学全集読め」「歴史の本を読め」と言われた。まだ子供だったぼくにはその意味も意図も分らず、一向に文学書は読もうとしなかった。 親父は77歳で他界したが、それから数年後に家も建て直し、一体何冊あったかも分らないその膨大な書物はほとんどが処分されてしまった。しかし親父は本当にちゃんと買ってきた本を読んでいたのだろうか。始めの方だけパラパラやってすぐに飽きてまた次のを買う、ということではなかったのだろうか。あるいは「そのうち読もう」と思ったままどんどん次のを買っていく、というだけじゃなかったのだろうか。
たまたま先日母に

「本当に親父は買い集めた本をちゃんと読んでいたのだろうか」

と聞いてみると、母の証言では

「全部読んでいたと思う。多分何千冊、という分量だったと思う。暇さえあれば本を読んでいた。後から後から買ってきて本当に困った」

と言っていた。
何千冊か・・・。ぼくははたして1000冊本を読んでいるだろうか。さすがにそこまで読んでいる可能性はかなり低いと思う。すごくもったいないことをしてきたと思う。なぜそういう人生の糧になるような肝心の本を読んでこなかったのだろう。

おそらくぼくは将来自分の息子に言うだろう。 

「アルバイトをする時間があったら世界文学全集読め。日本文学全集読め。歴史書を読め。塾よりはるかに効果的だ。だまされたと思って読んでみろ。すぐ読め今読め絶対読め!!」

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