教育とは

育児の部屋

前にも書いたが私の父は中学校の理科の先生だった。
化学と物理、いわゆる「第一分野」といわれていたやつだ。
当時の生徒の証言によると「かなり変わった先生だったが結構人気者だった」という。
家庭での親父は偏屈で頑固で怖い存在だったので、学校でも絶対生徒に嫌われていると思っていたので意外だった。 
教師のくせに、自分の子供の教育には全く口出しをしなかった。中間テストや期末テストの結果も聞かなければ、通信簿さえ興味がないようだった。それをいいことに私は小学校も中学校もほとんど勉強をしない落ち着きのないガキだった。

そんな私もやがて中学三年生になり、当然「高校受験」というものが現実味を帯びて迫ってきた。
その時になって、親父は初めて息子の無学の実態を知ることになる。
当時の私の学力はといえば、数学は中学一年生のレベルがほとんど理解できていなかった。
他の教科も似たようなものだ。
校内実力テストでは確か170人中149番だったと思う。さすがの親父も私の学力レベルに愕然とし、
「お前、高校は無理だ」
と冷たく言い放った。
高校に入れない・・・今考えれば人生のあり方なんて無限にあってどれが正解でも不正解でもないのだから高校に行かなくたっていいじゃん、という考え方もあるが、当時の子供の頭ではそんなことは考えられず、簡単にパニックになった。

「それじゃ、どうしたらいいんだよ」

私は懇願するように父に聞いた。

「浪人して翌年受験すればいい」

と父は涼しい顔で突き放した。
冗談じゃない、中学卒業して高校に入れずに浪人するのか。
今まで遊び続けてきた私の尻にもさすがに火がついた。

それから親父の特訓が始まった。
何をしたかというと、毎日メモ用紙のような紙に数学の問題を2~3問書いて、「できたら持ってこい」と言って私に渡すだけという乱暴な話だった。
しかし中一レベルの学力も怪しいのに解けるわけがない。
だから適当にでたらめな答えを書いて持っていく。当然正解ではない。

「お前、ホントにこんなのが分らないのか・・・」

たいてい父はそこで絶句し、

「じゃあこれは?これはどうだ?分らない?一年生の問題だぞ。驚いたな・・・」

とまたしばし絶句して、心底あきれた顔を見せる。
そしてその後不機嫌にその問題を解いて見せ、かなり不機嫌なままその日はおしまい、という繰り返しだった。とても「教えている」というものではなく、「この人ホントに教師だろうか」と思ったのも一度や二度ではない。

そんな特訓が毎日行なわれた。
親父のやり方は決して「問題の解き方、考え方」などを教えてくれる訳ではなく、ただ問題を紙に書いて渡し、当然できないからまた不機嫌になり、怒ったように問題を解いてまた明日、という繰り返しだった。こんな騙し合いのような「勉強」に何の意味があるのだ。 私はもっとテクニカルなことをちゃんと教えて欲しかったのだ。

しかしそんな親父の特訓が半年くらい経った頃、不思議なことが起きた。
突然数学が分るようになったのだ。
その理由はいまだに分らないのだが、とにかく問題が解けるようになっていった。
するとそれに比例するかのように英語や国語も理解できるようになった。
例えて言えば、頭の中で何かが臨界点を越え、それによってあちこちのシナプスがどんどん繋がっていったようだった。
そして田舎の新設高校ではあったが私はなんと2番で合格し、入学式には舞台で「生徒宣誓」を読み上げたのだった。

中学のときはクラスで最下位を争っていた私が、高校に入ったとたん「あいつは天才だ」などと言われ、ずいぶん戸惑った。
でも私は自分の息子に「勉強しろ」と言うつもりはない。
学習塾にも行かせたくない。
子供なんだから子供らしくしっかり遊んで過ごして欲しい。
子供なんだから「勉強なんかやだ」と子供らしく元気に言って欲しい。
そして私は言うだろう。 
「今は勉強なんかしなくてもいい。だけどその代わり本はたくさん読んでおけ」
「勉強なんかする暇があったらしっかり遊んでいろ」

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