3歳児の教育

育児の部屋

車検の時期だったので、今日、近くのオートバックスに車を持っていくことになっていた。
夕飯を食べ終わってから出かけようとすると、お風呂に入ってもう寝る直前だった三歳半になる息子が
「自分も行く」
と言いだした。
車を預けたらあとは徒歩で帰ってこなければならず、おそらく大人の足でも15、16分はかかる距離だった。
今日は朝から越谷レイクタウンでさんざん遊んでいるので、その距離をこいつが歩くとは到底信じられなかった。妻も「やめなさい! 」と言った。しかしおれが一人で行こうとすると子供は泣きだした。

「帰りは歩きだぞ。遠いんだぞ。ちゃんと歩けるか?」

子供はうなずいた。

結局連れていくことになり、車を預けていざ、帰りの道を手をつないで歩きだした。
子供はなぜか黙りこくっている。
それでも300メートルくらい歩いただろうか。歩みが極端に遅くなった。子供は
「遠い」
と言った。
「そうだよ、パパ遠いって言ったよね」
子供は黙ってうなずいた。そして500メートルくらい歩いたところでついに
「歩けない」
と言い始めた。

おれは考えた。ここですぐにおんぶでもしてやるのはバカ親のやることだ。

「パパ遠いって言ったよね。ゆうちゃん(子供の名前)も歩くって言ったよね」

子供は再び黙ってうなずいた。

「じゃあ歩かなくちゃだめだ」

しかし子供はもう半泣きの顔になっている。

「じゃあ、あそこの信号まで頑張ろう。そしたらおんぶしてあげる」

子供はいやいや歩きだしたが、だんだんと泣き始めた。
しかもワンワン大声で泣き出した。夜とはいえ、おれが何かをしたと誤解されかねないような激しい泣き方だった。しかしここでおぶるわけにはいかない。そんなことしたら
「パパは泣けばいうことを聞いてくれる」
と悪い学習をしかねない。

信号まで来た時、おれはもう少し行けるだろうとふんだ。

「よし、ここまで来たんだからあそこまで頑張ろう」

おれはあわよくば、最後まで自分の力で歩かせたいと思ったのだ。まあ最後と言わなくても、もう無理、というところまでは自分の力で歩かせたかったのだ。
そこから50メートルくらいは歩いたが、ついにそこでおれはおんぶしてやった。
しかし子供は泣きやむどころか号泣に変わり、そこがたまたまマンションの横だったのでその泣き声はあちこちに乱反射した。そして子供は一向に泣きやまなかった。
そのまま結局家までおぶって帰り、家に着くと妻のもとでひとしきり泣き、そして電池切れのように寝てしまった。

後味が悪い。おれは「教育」をしているつもりで実は「意地悪」をしていたんじゃないだろうか。
ふとそんな疑念が頭をかすめた。外であれほどまでに泣いたのも初めてだ。

どうせ歩かないのは分かってて連れて行ったんだ。さっさとおんぶでもしてやればよかったのだろうか。

いや、しかしそれでは自分の言葉に責任を持たない子になってしまうのではないか。
いやいや、3歳の子に「自分の言葉に責任」もへったくれもないだろう。
いやいやいや、3歳なら十分に理解できるはずだ…
いやいやいやいや、おれは子供が泣くのを分かっていたはずだ、やっぱり単なる意地悪じゃん・・・

ああ、おれのしたことはいったい正しかったのか間違っていたのか。

いや、こうやっておれも子供に教育されているのだろう。

子供は今、再び天使の顔をして寝ている。今度はもうちょっと早くおんぶしてやるか。
ああ、おれ着実にバカ親になろうとしている。

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