大震災の夜

エッセイ

テレビや映画ではなくリアルで起きた東日本大震災。
東京消防庁に勤務する姉は24時間交代シフトで三角トンガリ目になっているようだ。
隣の席の男性職員は遺体の回収作業のため現地に行ってるという。
津波で町が壊滅状態になり、電気、ガス、水道が止まり、食料が底をつき、そして原発事故。
追い討ちをかけるようにまた寒波が押し寄せている。
それに引き換え私はと言えば、なんともぬるま湯の中にいるようだ。
確かに地震のあった11日、金曜日は東京も大混乱だったが、東北の大混乱とは比較にならない。
電車が止まろうが駅で何時間待たされようが計画停電があろうが、
食べるものはある、水はある、トイレはある、風呂もある、暖房器具もある、暖かい布団もある・・・被災地の人たちがおかれている状況を考えたら幸せすぎる。こういう状況下でちょっと電車が遅れたぐらいで駅員に詰め寄っているバカなオヤジたちを見ると情けなくなる。

地震のあったその日、鉄道もほとんど止まった。
私が通勤に利用している東武伊勢崎線も完全に止まっていた。
家に電話してもまったくつながらない。メールも届かない。
子供は、妻はどうなっているのだ。

私は家まで歩いて帰ることを決意した。

まずiPhoneの充電を一杯にした。
「こういう時はラジオだな」
アプリを探すと無料ラジオがあったのでそれをダウンロードした。やっぱりiPhoneは便利だ。
iPhoneのマップアプリで家までの距離と時間を調べてみた。
「(徒歩の場合)28km、5時間43分」
なるほど、今から出れば今夜10時台には着くはずだ。

私は帰り支度をして5時過ぎに会社を出た。
外は同じように帰宅難民であふれていた。
秋葉原を過ぎ、上野を過ぎ、台東区の三ノ輪のあたりまできた。
周りを見ればまるで民族大移動だ。
その間、何度も家に電話やメールを送ってみたがつながらなかった。
こういう時、携帯電話はみんなが一斉に使うのでかからなくなるとは聞いていたが、
メールもつながらない。
町の公衆電話はどれも行列が出来ていた。

裏道であいてる公衆電話を見つけた。小銭を確認し、家に電話をしてみた。
するとあっさりつながった。
妻も子も無事であった。
「10時過ぎには着くと思う」
後ろに人が並び始めたので電話を切り、再びおれは歩き出した。

日光街道をひたすら北上していった。途中、北千住の手前あたりの交差点で
腰の曲がった老婆がおれに問いかけた。
「西新井へ行くにはこのままみんなについていけばいいんですかね」
「ああ、そうですね、西新井はこのまま行けば通りますよ」
おれは答えながら思った。
ここから西新井までは歩けば結構ある。でもこのおばあさんも、歩くよりほかに選択肢はないのだ。
電車は動いてない、道路は大渋滞、バスもタクシーも来ない。
移動には自分の「足」しかない。

おれも帰宅難民の群れに混ざってひたすら歩き続けた。
2時間くらい歩き続けて改めて感じたのは革靴が予想以上に足に負担をかけているということだ。
カバンも余計だった。こんなもの、どうせ今日は必要ないのだから会社に置いてくればよかった。

歩き始めて4時間、すでに9時を回っていたが、とりあえず夕飯をとることにした。
さすがに足が痛い。
街道沿いの店はどこもいっぱいだった。
おれは少し引っ込んだところにあった中華屋に入った。
野菜炒め定食780円。普段500円ランチになれているおれはえらく高く感じたが、一般的にはこんなものだろうか。
食事中も何度か余震があった。テレビではもちろん特番がずっと流れている。
30分くらいで食事を済ませ再び歩き始めた。しかし足はもうこれ以上歩くことを拒絶しているようだ。
歩く速度がガタンと落ちていった。どんどん抜かされていく。
痛いのは足というより「膝裏」だった。
歩く速度は時間をおうごとに落ちていき、微速前進状態になっていた。
女性にも抜かされていく。車であればあっという間の距離でも、歩けども歩けども距離が縮まらない。足の裏も痛い。駅の一区間ってこんなにあったんだ・・・。

12時を回った。あと二駅分だ。しかし歩く速度はもう自分の4歳の子供よりも確実に遅い。もしここで再び大きな地震が来ても走れない。

あと一駅。
もう10mでも近道を選びたい。

深夜1時半、ようやく我が家にたどり着いた。会社を出て約8時間。途中30分の夕食休憩があったにせよこんなに歩き続けたのは生まれて初めてだった。

トイレに入ると体が震えてきた。歩いている時は気づかなかったが、きっと体も冷えきっていたのかも知れない。

おれが歩いたのは直線にして28キロちょっとだったが、このありさまだ。「24時間テレビ」の100キロマラソンは尋常ではない。テレビで見ていると「なんだ歩いてんじゃん」なんて思ってたけど、とてもそんな次元の話ではない。はるな愛だって85キロやったそうだが、今回のおれの歩いた距離の3倍!
すごい、すごすぎる!!

家にたどり着いたおれは、もう一歩たりとも動く気になれなかった。
しかしそれは、災害が起きて例え帰ってきても何の役にも立たないということだ。
足の全体的にむくみ、痛みは2日間続いた。

今、会社のデスクの下にはジョギングシューズが用意されている。

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