甲状腺異常 疑惑の判定

アンチエイジング

3月の健康診断。
なんか予感がして、甲状腺の検査をオプションで申し込んだ。

先日、帰るとその結果が送られてきていた。
まず検査結果表を見ると、どれも数値が高く、それはバセドー病を示すものだった。
と同時に、別に封筒が同封されていて「この紹介状を持って速やかに専門の医師に見てもらってください」と書かれていた。

精神的にも肉体的にも超激務だった2002年3月、地元のクリニックで「あなたはバセドー病にかかっています」と宣告され、投薬治療を始めた。しかしそもそも自覚症状も無かったので、薬を飲んでも何がどう変わるのか、何も実感がなかったので半年くらいで勝手にやめてしまった。

その数年後、たまたま同じクリニックで「甲状腺の検査はどこかでやっていますか」と聞かれ、何もしてないと言うと、
「久しぶりなので検査しましょう」と血液を採られた。
結果、「異常値なので大学病院で再検査してください」と紹介状を持たされ、おれはD大学病院の循環器内科に回されたのだった。
そこで往診に出た医師、おれはそいつを医者とは認めないが、ひどいもんだった。
初めて患者に接したのか、緊張しきっていて、紹介状を持つ手も心なしか震えているようで、状況を説明しているおれの話もほとんど聞こえていないようだった。何度も同じ質問をしたり、「それさっき言ったじゃん」というような不毛なやり取りが続いた後、そいつは奥に引っ込み、先輩らしき女性の医師に何やらお伺いを立てていた。「だからそれ確認しなきゃダメじゃん!」と何かいろいろ怒られていたようだった。
「次回、超音波で見てみましょう」とその医師は言ってその日は何もしないで終わった。
次の検査の時、検査室でそいつは照れ臭そうに機械の前でスタンバイしていた。
「あ、どうも」とそいつは笑顔でおれに言った。「どうも」じゃねーよ、またお前かよ。
検査自体は隣についていた先輩医師に散々ダメ出しされながらやっていた。
こんな検査で大丈夫だろうか。
「とりあえず様子見ですね」
ホントかよ。

そんなわけでその後は甲状腺のことなど気にもしていなかったが、今回の検査では即再検査が言い渡された。
今回はちゃんとした専門病院で診てもらおう。
おれは都内の甲状腺専門病院をネットで見つけ、予約した。

おれの担当医となる人は角刈りのなかなか迫力のある医師だった。
おれが2002年以降のことを大体話すと、
「ほう、それで薬は自己判断でやめてしまったと…なるほど。バセドー病はね、放っておくと最後は死にますからね。ホルモンの病気を甘く見たらいけませんよ」とずっしりした声で言った。
おお、なかなかつかみはOKじゃないか。
いきなり「死ぬ」とか言われると、ちょっとドキドキしてしまう。
早速その場で超音波を取った。
「うーん、血液検査の結果では数値が高いんだけどエコーだとね、バセドーの人はもっと血液がここにガンガン入ってきているんだよね。来週、血管から低放射能入れて、それがどれだけ甲状腺に着床するか見てみましょう。それではっきりするでしょう」

低放射能?それって被爆??そんなもん体内に入れていいんか???

検査は翌週。血液検査をして、目がどれくらい飛び出ているかという検査(これは正常値だった)をしてこの日は終わった。
そして翌週、指定され午前10時ぴったりに行くと、待合室はごった返していた。
ここは甲状腺専門病院だから、ほぼ全員が甲状腺の問題で来ているのだろう。
甲状腺疾患はそんなにポピュラーなものだったのか。
そんな混雑した待合室の中でもおれは特に待つこともなく地下の検査室に案内された。
ドアには「核医学室」と書かれたプレートが貼ってあり、なんと2011年によくテレビや新聞で観た黄色の「原発マーク」が記されていた。

「それではクスリ入れますね~」
といって看護婦がおれの腕に注射をした。
「今、これ放射能を入れてるわけですか」
「といっても非常に低レベルで、飛行機に乗るよりも低いんです。夕方には半減しているし、明日の朝には残っていませんから」

そして10分ほど待った後、まるで最新式のMRIのような装置に寝かされ、喉のあたりを撮影(?)していた。
その後診察室に呼ばれると、この間の医師がいた。
「うーん、放射能は確かに甲状腺に集まっているんだよね。ほら、ここが黒くなっているでしょ。これ、バセドーなんだよね。でも血液検査の数値を見るとね、うーんどうすっかな・・・」
すぐに投薬治療を開始するか、もう少し待ってからもう一度判断するか、という2択だった。
「じゃあ1ヵ月半後にまた見てみましょう。その時白血球が減っていたら薬を開始しましょう」ということで話がついた。

今、おれは2002年のバセドー病診断そのものが誤診だったのではないかと疑い始めている。

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