転職日記|展示会という仕事

会社日記

私の転職した会社は「新聞社」ではあったが、同時に「展示会」というものをやっていた。前職でいえば、出展していた側だが、今度は主催者だ。
この展示会については他の社員からもいろいろ噂は聞いていた。
「この会社は春に辞める人が多い」というものだった。
展示会はたいてい3月に行われていたのだが、これで完全に疲弊してしまい辞めていくのだという。あるいは「展示会ダイエット」という話も聞いた。その名の通り、ゲッソリ痩せてしまうらしい。まあそれくらい過酷だということだろう。
この会社での社員のノルマとしては、
「広告月100万、展示会は1年目の人30小間、2年目の人40小間、3年以上の人は50小間とってこい」と決められていた。
社長はよく会議の席で言ったものだ。
「取材に行ったらまず広告を出してもらえ。広告をもらったら次に展示会に出てもらえ。展示会の申込書をもらったら次に購読してもらうのだ。記者はスーパーマンでなければならない]

毎週「編集会議」という名の広告営業会議のほか展示会の営業会議がある。この1週間、どこにあたってどんな成果があったのか、今後の見通しはどうなのか、ということを徹底的に詰められる。
新聞の記事原稿で追われ、広告営業で追われ、さらに展示会営業で追われるのだ。
特に新聞の締切り時期などただでさえ時間が足りない時でも、そんなのおかまいなしに展示会での営業成果が求められる。
「締切りだったので(展示会営業時は)出来ませんでした」などと言った日には社長の罵声怒声が会議室に響き渡る。
営業先がまだたくさん残っているうちはまだいいが、最後のほうになってくると当然玉もなくなってくる。しかし会議は毎週あるし追求の手もますます厳しくなってくる。
すると苦し紛れに「取材があるから・・・」と会議を欠席するやつが何人か出てくる。傾向としては、3回連続で会議に出なかった奴は大抵まもなく辞める。

当時は展示会の運営自体もお粗末なものだった。
私が入社したとき、既に10回目を迎える開催だったが、よくこれで今までやってこれたものだと不思議なくらいだった。
これも片手間でやっていて、人もすぐに辞めていくのでノウハウが蓄積されず、専門家が育たない。何回やってもクオリティが上がらないという悪循環に陥っていた。

入社して1年が過ぎた春、私ともう一人、別の編集部のやつが社長に呼ばれた。
「来年の展示会、君たちで事務局やってくれないか」
「事務局」とは、当時二つの編集部から一人ずつだして1年間展示会のこまごまとした業務を、編集と兼務するのだ。別にこれによって広告営業や執筆の負担を減らしてくれるわけでもなく、もちろん給料が増えるわけでもない。つまり今までは取材・執筆、広告営業、展示会営業という3つのノルマに、さらに展示会実務の業務と事業の全体責任が上乗せされただけだ。だから誰もやりたがらない暗部だった。
別にそれを引き受けることによって何のメリットも感じなかったが、何しろ入社一年目で承認欲求が人一倍強かったのですぐに了解した。

しかしそれからやがて判っていくことになるのだが、会社の中に展示会の運営について分かる人間が誰もいないのだ。当時先輩社員が20人くらいいたが、誰に聞いても細かいことは誰も知らなかった。全てがその場しのぎでやってきて、終わったら引継ぎも何も無しでウツのように辞めていってしまう。次の担当者に任命された者も同じ調子だったらしい。
仕方がないので会場の担当者のところに出向いたり保健所や消防署の人に聞いたり施工業者の人など、つまりほとんど社外の人に聞きながら、一から覚えていった。
その年の1年間でおれは会社の中で展示会については社内で一番詳しくなってしまった。そしてこれが後々展示会関係の仕事をどんどん押し付けられる羽目になっていった。
まあ結果論から言えば10数年を経てこれが吉と出たからいいのだろうが、「吉」ではなく、苦難の道のりの始まりだった。

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