翌朝、宿のおばちゃんがおれたちを起こしにきた。
まだ6時だ。朝食の時間にしては早すぎるんじゃないか。
おばちゃんが言うには、天河神社で朝の礼拝があるから、せっかくだから参加してきなさい、ということだった。
おお、なんかこれはインドのサイババの朝の礼拝みたいじゃないか。
おれたちはすぐ近くにある天河神社に向かった。
参加者はおれたち以外に3人ほどいただろうか。
朝拝は鮮明な記憶は無いが、神聖な雰囲気は濃厚だった。
それは20分ほどで終わったと思う。宿に戻り、朝食を食べておれたちは再び天河神社に行った。
平日の誰もいない天河神社は、その標高の高さも手伝って神聖な空気と静寂さに満ちていた。
なんといっても日本一のパワースポットだ・・・。
「きみ、どうだい、何か感じるかね」
「いや・・・別に特に何がどうしたというわけでもないが・・・」
「そんなはずないだろう、世界有数のパワースポットだぞ、何か感じるだろ」
「んじゃ、きみはどうなのよ」
「え?まあ別にいつもどおりだな」
確かに厳かな雰囲気はあるが、だからと言ってみるみる元気が沸いてくるわけでもなく、超常現象が起こるわけでもなく、神秘体験があるわけでもない。敷地も別に広大なわけでもなく、ぐるっと一回りしたら我々は簡単に飽きてしまった(なんて罰当たりな・・・)。
境内で「五十鈴」というのが売っていたのでせめてもの天河に来た証としてそれを購入した。
それはなんだか澄んだとても不思議な音色だった。
仕方ないのでそれからは周辺を散策した。全身にパワーを浴びておこうという算段だ。
川辺に小さな洞窟があったので入ってみた。が、別に何がどうということもなかった。
一ヶ所、山の上に向かう階段があり、しめ縄とローソクと旗が道に沿って立てられていた。しかしそこだけは登らなかった。
「この先へ行ってはいけない」
そこは我々一般ピープルが決して立ち入ってはならないと、何か得体の知れない空恐ろしいものを強く感じたからだ。
インターネットでは天河神社のマニアックなファンサイトみたいなものがあった。
そこには「天河を訪れるにあたっての10の心得」というようなものまで出ていた。
1.天河に超常現象を期待してはいけない。
2.天河には雑念と雑音を持ち込むな。
3.縁のない人間は行きたくても天河には行けない。
4.天河に集まる人間は、必ず使命を持っている。
5.天河では素直になる。
6.般若心経は暗誦できるようにしておく。
7.玉串奉納の手順を知っておく。
8.天河では思索にふけるのではなく、気を受ける。
9.天河は三回来て初めてそのパワーがわかる。
10.天河行きは他人に強制しない。
おれといかりくんはこれらの心得をまったく心得ずに行ってしまったことになる。
超常現象というのは、おれも知らなかったが天河神社の背後にそびえる弥山は、有名なUFOスポットであるらしい。
しかしあくまで天河とは自己改革のために出かける場所であって、超常現象を物見遊山気分で期待していくのは誤りだという。当時、もしこのことを知っていたらおれもいかりくんも間違いなく天河での時間の多くを空を見上げることに費やしただろう。
そして二番目の「雑音」とは音楽のことだそうだ。なんとおれたちが持ち込んでしまったのは森高千里。音楽と言うにはあまりにもお粗末すぎる。しかしこれはいかりくんの責任だからしょうがない。
三番目に「縁の無い人は行けない」とあるが、たどり着くまでにあれほど時間がかかってしまったのは、やはり天河に拒否されていたのだろうか。
六番目の般若心経とか言われるとちょっと引いてしまうし、「玉串奉納」とは何のことだ?
考えれば考えるほどなんとお気楽に天河詣でをしたのだろう。全国の天河ファンを敵に回しそうだ。
話しは飛ぶが、天河から東京に帰って3日間ほど、風邪を引いたわけでもないのに全く声が出なくなった。
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