3月24日のネットニュースの中に次のような記事があった。提供は朝日新聞。
そこから一部抜粋。
「津波に襲われた同県南三陸町。30代の母親ががれきの中でうずくまり、泣いていた。「なんにも悪いことしてないのに。どうして……」
あの日、2歳の娘を寝かしつけ、山向こうの町に買い物に出て地震に遭った。山を越えて轟音(ごうおん)が響いてきたが車は動かず、坂道を走った。そこから先の記憶はない。
娘は翌日、自宅があった場所から400メートルほど離れたがれきの下で見つかった。消防団員が顔を拭いてくれていた。いつもの歯磨きのように、口を大きく開けて指で泥をかきだしてあげた。
震災3日後、がれきの中から、やっとアルバムを掘り出した。砂ぼこりが巻きあがる中、泥だらけのアルバムを胸に母親は泣き続けた。」
もう言葉が出ない。
もし自分が同じ状況に置かれたら、もう生きる気力すらなくなってしまうだろう。
もちろん現地に行ったわけではないが、そこが風景自体、すでに地獄絵になっているのは想像できる。しかし被災者の心情は絶対我々の想像を超えているはずだ。
子供を亡くした親、親を亡くした子供たち、彼らの悲しみと絶望感は想像しただけでも鳥肌が立つ。「がんばって」なんて軽々しく言えない。
いみじくもビートたけしが次のように言っている
「今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒瀆だよ。人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。」
付け加えるなら「1人が死んだむごい事件」が2万件あったということだ。
そしてこういう悲しい「事件」は当然阪神大震災のときも、ニュージーランド大地震でも、四川大地震でも、そしてソマリアなどアフリカの内戦地域でも当然起きているのだろう。
こういう話を聞くと、「やっぱり神なんていないんじゃないか」と真剣に考えてしまう。
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