読んでるときは特にどうとも思わなかったが、読み終わってからずっと何かを引きずっている・・・
荻原浩の『あの日にドライブ』だ。
会社の近くの書店に平積みされ、書店員の手書きのPOPで「心の疲れたビジネスマンに心安らぐ一冊」みたいなコメントが書いてあったと思う。
その時は別にそんなに疲れてはいなかったのだが、その晩はしつこい話だが幼稚園願書争奪戦の日だった。そこで司馬遼太郎の『翔ぶが如し』とこの本を買ったのだ。実際その夜は司馬遼太郎でなく、こっちの本を読んでいた。
時間はたっぷり5時間あったが、徹夜みたいなもんだったので目も頭も疲れていて、半分くらいまでしか読み進めなかった。
しかも内容はエリート銀行マンがちょっとしたことで支店長の反感を買い銀行を辞めるはめになってタクシー会社に転職し、「自分の人生は一体どこで間違ったのか。あの時点まで戻って人生をやり直せたなら」などと悶々と考えている。
夜中にこんな後ろ向きな話を読んでいるとこっちまで暗くなってくる。
「この本買って失敗だったか・・・」と思った。
しかしどんよりとネガティブなのは中盤までで、残り半分はなかなか読んでいても痛快な展開になってくる。後半部分は最後まで一気に読んでしまったが、読んだ後、心は別に安らぐわけではなかったがことあるごとに思い出しては考えさせられる。
全編にわたり
「人生は偶然が重なりそれで決まってしまう」
「たまたま起きたことでその後の運命が決まってしまう」
という主人公の呟きが散りばめられている。
・・・偶然・・・たまたま・・・
それを「偶然」と呼ぶか「必然」と呼ぶかは微妙なところだ。
極論すれば世の中に「偶然」など存在しない、すべては起こるべくして起こっているのだという説に個人的には賛成だ。
主人公は昔別れた彼女と結婚してたら自分の人生はまるで違うことになっていたんじゃないか、と考える。
そりゃ違うものになるだろう。だがそれで幸せになれるかどうかは別問題だ。
あの時ああしていれば、あの時あんなこと言わなければ、あの時こっちに行っていたら・・・
考え出したらきりがない。しかしおれも実はよく考える。
でもそれが小説になってしまうということは、実は多くの人がそんなことを要所要所で考えたりしているのだろう。
結局考えることはみんな一緒、ということか。
「自分にとって必要なことを学ぶために生まれてくる」というのが本当であれば、何を選ぼうが「失敗」というのはありえないことになる。
でもそれを本当に実感できるのは死ぬときだけかもしれない。
コメント