昔から「字が汚い」と言われ続けてきたが、子供の頃は「大人になれば誰でも自然に上手くなる」と漠然と信じていたので全然気にしていなかった。しかし中学生になり、高校生になっても相変わらず字は一向に上手くならない。二十歳になっても私の字は全く上手くならず、まるで小学生の時のままだった。文字に関しては10歳くらいから進化が止まってしまったかのようだった。
以前、母親に「ゆっくり書かないからだ。もっとゆっくり丁寧に書きなさい」と指摘されたことがあった。しかしゆっくり書こうとするとさらに強力に下手になるのだ。そう、私の字は「汚い」のではなく「下手」なのだ。これは長年ずっと自分の中でも謎だった。親兄弟を見回しても、特に字が下手な人間はいない。DNAのせいではないようだ。
高校3年の卒業前に、私は卒業文集の編集委員を任された。クラスのみんなから原稿を集めるだけなのだが、私は越権行為として自分の原稿だけ2本入れた。まあそんなことはどうでもいいのだが、集めた原稿はみんなどれもそれなりにしっかりした字を書いていた。これは男女成績の優劣関係なく、とりあえず「まともな字」を書いていた。その中で2本も原稿を出したくせに私の字はダントツで下手だった。
字が下手なことで決定的に困るのは社会人になってからだ。今は履歴書もPCで作る人が多いが、昔は手書きが常識だった。しかし一生懸命丁寧に時間をかけて書き上げても、どう見てもその出来栄えはまさに「これ、小学生が書いた?」と思われても仕方ないレベルにしかならなかった。
最初に入った会社では、集金業務もあったのでお客さんの目の前で領収書を書く機会が何度もあった。私が領収書の冊子を用意し書き始めると、お客さんがじっとそれを見ている。その時の気まずさといったらない。会社でも私の書く字は下手くそで定評があり、デザイン部の奴は「○○さんの字は、もはやロゴですよね」と嬉しそうに言った。
しかし私もそんな状況にただ手をこまねいていたわけではない。下手でもいいが、せめてもう少し大人が書いたとわかる程度にはなりたかった。ちょうど転職を機に、通信教育でペン字の練習を始めた。確か「エーカン」とかいう指先でカシャカシャ動かす器具を用いてやるやつだった。しかしそれもすぐに無用の長物になってしまった。というのは、新しく入った会社の社長がものすごい字を書いていたのだ。それはまさにミミズが這(は)ったような不気味な字だった。それを見た時、「あ、別に今のままでもいいや」と思ってしまったのだ。社長の字はミミズ文字でなおかつほとんど判読不能の文字だった。少なくとも私の文字は、下手ではあるが確実に読める字ではあった。「どんなにきれいな字を書いても伝わらなければ意味はない」と屁理屈をごね、それ以来字の練習もしなかった。まあ時代もパソコンの普及とともに字を書く機会もどんどん減っていった。しかし字を書かなくなったからか、たまに封筒なんかに手書きをすると、「これは本当に自分の字か!」と驚くほどにさらに字が下手になっていた。最近ではいったい自分はどこまで字が下手になるのかちょっとした恐怖さえ感じる。
自分の息子も字が下手だった。「これは遺伝だな」とちょっとうれしい気持ちもあった。鬼嫁は「字を丁寧に書け」とよく息子に怒っていたが、私は「字が下手な人間に悪い奴はいない。気にするな」といつも言っていた。ところがだ、先日何気に目に入った息子の学校で使っているノートを見て驚いた。
「ヤバい・・・」
上手とは言わないまでも、明らかに私よりも「大人っぽい」字だった。
これはさすがにちょっとマズい。
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