<健康診断 疑惑の陽性判定②はこちら>
不思議なことに、もう体内から排出されるものは無色透明、無臭の「水」だけになった。
時間もそろそろだったので家を出た。
「鎮静剤をやる人は当日、車、自転車も禁止です」
と言われていたので駅まで歩いて行った。
自転車も危ないほどふらふらになるものだろうか。
だったら駅のホームだって危ないんじゃないか。
クリニックに到着したが、既におれは全力で緊張していた。
これで何かやばいものが見つかってしまったらどうしよう。
知らないことの幸せだってあるじゃないか。
余計なことをしたばっかりに眠っていた邪悪な細胞が目を覚まし、体をガシガシむしばみ始める、なんてことだってあるのではないだろうか。
しばらく待合室にいると名前が呼ばれ、更衣室に案内された。
検査着に着替え、検査室の前のカーテンで仕切られた待機スペースでストレッチャーに寝かされた。
ダメだ、もう逃げられない・・・

緊張したまま天井を眺めていると
「点滴しますねー」と看護師がカーテンを開けた。
ついに来たか・・・
「ちょっと前の方が遅れてまして、次の次になりますので少々お待ちください」
事前情報によると、検査にはだいたい30分くらいらしい。
つまりおれはこのストレッチャーの上であと1時間待機するわけか。
できれば永遠の1時間であってほしい。
やがてカーテンの向こうの処置室のドアが開く音がした。
「終わりましたからねー。膝、楽にしていいですよー」
「はいー」
中から声がする。
患者と看護師が何か話をしている。
患者は声からして結構高齢だと思った。
「結局ポリープ無かったんだよな。なんで毎年引っかかるんだろう」
看護師に不満げに訴えていた。
「まあ、健康診断ではわりと引っ掛かりやすいんですよねー」
そしてその患者はおれの横に運ばれてきた。
もちろんカーテンで仕切られてるのでどんな奴かもわからない。
そこでも相変わらずでかい声で看護師に何かいろいろ訴えかけてた。
次に処置室に入ったのは若い女性のようだった。
「はい、膝まげて横になってください」
「よろしくお願いします」
ドアが閉められ、かすかに会話が聞こえた。
あと30分後にはいよいよ自分の番だ。
永遠の30分であってほしい・・・
人生で一番短い30分があっという間に過ぎ、処置室のドアの開く音がした。
「は、終わりましたよー。楽にしていいですよー」
「ありがとうございました」
「大丈夫ですかー」
「あ、はい。大丈夫です」
と会話の声が聞こえた。
その若い女性はおれの隣のおっさんのさらに隣に運ばれたようだ。
そしておれのところのカーテンが勢いよく開かれ、
「お待たせしましたー」
別に待ってないし!
おれはストレッチャーごと手際よく処置室に運ばれていった。
中に入ると大きなモニターがあった。
これに映し出されるのか。
自分の腸内を見なければならないというのも気持ちのいいものではないだろうな。
「膝を曲げて横向きになって、お尻をこちらに少し突き出してもらえますか」
看護師が言った。
そのままの状態で待つことしばし。
後ろで看護師と医師が何か話している。
「次の方は・・・〇〇さん。今回初めてみたいですね」
ようやく準備が整ったのか、また看護師が来て
「それでは鎮静剤入れますね。あーそんなに緊張しなくていいですよー」
「あ、はい、何しろ初めての体験なんで・・・」
事前情報だと、鎮静剤を打つと「ボーっとした感じ」とか眠ってしまう人もいる、という話だ。
内視鏡カメラが入っていく感覚は分かるが、それは押し上げる感じで痛みとか胃カメラのような苦しさは無いというが。
看護師は点滴の器具の方に回り込んでそこから鎮静剤を入れているようだった。
「なるほど、そうやって鎮静剤って入れるんだ・・・」
次の瞬間、おれは元の待機スペースにストレッチャー乗ったままいた。
あれ????????
これから?
今、夢見てた???
ちょうどその時看護師がカーテンを開けた。
「あ、気分はどうですか?」
「え?あれ?終わったんですか????」
「はい。ポリープ3個取りましたね」
「え?」
「起き上がれるようなら帰っても大丈夫ですよ」
鎮静剤の投与と同時に完全に意識が遮断されたのだ。
目覚めたときも、それは「眠りからから覚めた(起きた)」というものではなく、突然気がついた、というものだった。
看護師が点滴に器具に何か入れてる、そこまでははっきりと覚えているのに、そこからもとの場所に戻されるまでの記憶がまさに「カット」されてる感じだ。
もちろんモニターで自分の腸内なんか見てもないし、医師の顔すら見てない。
いや、少なくとも前の二人は処置室から出てくるときに看護師と会話を交わしていたぞ。
これはまったく不思議な体験だった。
「ポリープを3個取った」
ということだけ聞かされ、2週間後にもう一度来るように言われた。
あと2週間、もやもやした気分のままいなければならない。
どうにももどかしい。
検査結果が出る1週間くらい前から、別に検索もしてないのにInstagramやFacebook、Youtubeなどで妙にがんに関連する動画や記事が頻繁に出てくるようになった。
前日にはアフラックからがん保険見直しのDMが送られてきた。
この偶然はいったい何なんだ。
不吉すぎる。
まるで「心の準備をしておけ」とでも言われてるようだ。
その手の情報があまりに多く出てくると、まるで自分がもうがん宣告されたような錯覚に陥り、またしてもこれまでの自分の人生を振り返ってみたり、今後どうしようか、会社はやっぱりすぐに辞めようか、などと考えてしまった。
そしていよいよ再診の日。
会社を早めに出て、クリニックに向かった。
クリニックには予約時間ちょうどに着いたが、待合室で1時間ほど待たされた。
その間も、医師からの検査結果はもう悪いことしか言われないだろうと勝手に決めつけ、それに対する受け答えのシミュレーションを考えていた。
最近では医者は普通に本人にがん宣告するというではないか。
「この黒い部分がですね・・・。大学病院の紹介状書きますので、そこで手術ですね」
などのやり取りが行われるのだろうか。
あるいは
「どうしてもうちでは取れないやっかいなポリープがあるんですよね。大学病院の紹介状書きますので、そこで手術ですね」
などの会話が交わされるのだろうか。
やがて自分の名前が呼ばれた。
「診察室1番にお入りください」
またしてもド緊張で診察室に入った。
「お待たせして申し訳ありませんね。えー、○○さんですね。えーと、ポリープ3個取りましたね。これ写真です。この2つはまだ小さいんですが、この3つ目のやつは少し大きいので取っておかなければなりませんね。しっかりとっておいたので問題ないでしょう」
「え、つまりは良性、ということですね?」
「そうですね、問題ありません。便潜血はおそらく肛門の方でしょう。たまたまだと思いますが」
おれはあっけなく無罪放免となったのだった。

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