入社して2ヶ月が過ぎたとある土曜日だった。
その頃会社は月3回土曜日出社だったが、土曜日に関しては出社時間も退社時間も適当で、みんな10時ぐらいにやってきては3時くらいに帰っていった。
その日、おれはコンサートに行く予定だった。昔からファンだったシンガーソングライターの「きくち寛」が久しぶりに東京でライブをやることになっていたのだ。
今日は早くあがらなければ。
おれは朝からなんと一面の記事を書いていた。
さかのぼること1週間ほど前、
「次から一面(トップページ)書いてみろ」
入社して2ヶ月目、突然社長に言われたのだ。
一面と言ったら新聞の顔じゃないか。それを入社2ヶ月目の初心者に書かせていいのか。
実はおれの先輩である例の意地悪女が6月で辞めるのだという。今まではそいつが一面を書いていた。
こいつが辞めるというのはおれにとっては朗報だ。しかしだからと言っておれが書くというのはちょっと無理があるんじゃないか。そもそも編集次長がいるではないか。
しかし編集次長はといえば、書くのが苦手だという。
編集次長で書くのが苦手って、それでいいのか。
結局5月号から書いてみろということになった。
もちろんまだ取材のイロハもわかっていなければ(まるで教えてもらってない)、それ以前に業界のことについても何も知らないのだ(これもレクチャー一切無し)。
「とりあえず次の一面候補はこの店だな。最初だから●●さん(編集次長)についていってもらえ」
そこでおれは横浜のとあるドラッグチェーンの本部に編集次長と一緒に取材に行った。
しかし取材ではそのドラッグチェーンの社長は
「そんなにあくせくして儲けたってしょうがないじゃないですか」とか
「やっぱりのんびり生きなきゃ」とか、
ほとんど記事にならないような話をのらりくらりとするだけだった。これをどう原稿にすればいいのだろうか。まあ次長もいるので大丈夫なんだろう。
どうやったかは覚えてないが、とにかく書いてみた。
出来た原稿を編集次長に見せると、パラパラっと見ただけで
「ん、まあいいんじゃない?社長に見せてみな」
と返してきた。もっと徹底的にチェックおよび書き方指導があると思っていたがなんとも拍子抜けだ。
そこでそのまま社長に持っていった。
社長はしばらくおれの原稿を眺めていた。
「これはダメだな。全然面白くないよ。●●さん、ちょっと教えてやってくださいよ」
と社長は次長におれの原稿を投げ渡した。
「んじゃあよう、おれがちょっと書いてみっからそれ参考にしな」
と言って今度は次長が書き始めた。そして書き終わってからそれをおれに渡した。
「向こうの社長はこういうことを言ってたから、この部分を先に持ってきてだなぁ・・・。ここを書かなきゃダメなんだよ。まあこんな感じだろうな」
おれはその原稿を何も言わずにそのまま社長に渡してみた。社長はしばらく原稿を見ていたが、
「ダメだな、全然面白くない。こんなんじゃ出せないよ。もう一度●●さんと相談してみろ」
と突き返された。
相談も何もそれ、次長の書いたやつなんですけど・・・。
それはつまり、編集次長の原稿が全然ダメってことか。じゃあおれはどうしたらいいのだ。
時間はもう5時になろうとしていた。
社長からダメ出しが出た、と次長に話すと、
「まあもう少し考えてみな。おれ帰るから。あとヨロシク」
とまるで他人事のように言って帰ってしまった。あんたの原稿がダメ出しされてんだぞ。
おれはそれから再び書き直しに入った。
時計は6時を回った。もうコンサートなんか間に合わない。
何度書き直しても無駄で、そのネタは結局ボツになった。
素材が悪いものはどんなに料理しても食えないのだ。
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