今まではわりと寝付きはいいほうだった。
横になって大抵5~10分以内には夢の世界に入り込んでいた。
ところがここ数カ月、毎日とは言わないがなかなか寝付けない日が多々ある。
で、そういう時は決まってネガティブなことしか考えていない。
まだ起こってもいない将来に対する不安だの、今さら悔やんでもしょうがない過去の出来事を延々と思い出していたりする。
そしてなぜか「死」に対していろいろ考えてしまうことがなぜか最近多い。
「もしかしたらおれ、死期が近いのだろうか」と勘ぐりたくなるくらい「死」に思いをはせることが頻繁になってきた。
いや、もうそういうことを考えてもいい歳になってきたということだろうか。
椎名誠の著書に『ぼくがいま、死について思うこと』という、そのまんまのタイトルの本がある。
気になって探したら見つからなくて、もしかしたら年末の断捨離で売ってしまったのかもしれない。
どうしても読みたくなったのでメルカリで購入した。
するとなんと次の日に自宅の本棚で見つけてしまった!
てっきり単行本だと思っていたら文庫本だったのだ。ああもったいない。
死に関するものと言えば、ひすいこうたろう著の『あした死ぬかもよ』が出てきた。
この本はスピリチュアルとかエンディングとかではなく、ざっくり言ってしまえば「死ぬときになって後悔しないために、今を大切に生きなさい」という内容。
これは響く人と響かない人に大きく分かれるだろう。
いい内容だがおれはひねくれているからこういうのは、今は響かない(じゃあ何でもってるんだよ!)。
人に限らず生命あるものは100%いつか死を迎える。
自分の親はもちろん、兄弟も死ぬし子供も死ぬ。
友人も死ぬし自分も当然、いつかは死ぬ。
何十年後か何年後か何日後かわからないが、自分はいったいどんな死に方をするんだろうか。
「死ぬ」というのはどういうことだろう。
「死ぬ」というのは呼吸が止まることだからやっぱり相当苦しいんだろうな。
苦しまずに死ぬ方法はないだろうか。
しかし老人になって自分でトイレに行けなくなったらもうその時点で今世の終了を選びたい。
そんなことを考えていると「死」に対する恐怖がどっと押し寄せてくる。
「死とは魂が元の場所に戻るだけ」とか「肉体を脱ぎ捨てて光の世界へ」などと言われても怖いものは怖い。
でもそれはきっと死の本質を理解してない故の恐怖なのだろう。
そして「死」に対して一通り怖がった後に連想していくのが今の会社に転職した当時の記憶だ。
人間とは不思議なもので、楽しかった思い出よりも辛かった思い出ばかりを結構いつまでもしつこく覚えていたりする(おれだけか?)。
特に今の会社に転職した当時のことなど思い出すと、ほぼ辛く過酷な記憶しか残っていない。
「書く仕事がしたい」と自分が望んで飛び込んだ世界だったので必死に頑張ってきたが、当時は今のように社員の人権など経営者の一存でどうにもなる時代だったので、使えない、役に立たないと判断された人間はどんどんリストラされていった。
その前の会社は「社員はみな家族」という暖かい会社で、給料は安かったが9時-5時(17時)、残業無し、ノルマ無し、休日出勤無しという、ぬるま湯どころか温泉のような会社だったのに対し、転職した今の会社は9時-10時(22時!)超えのサービス残業当たり前、無限ノルマ、サービス休日出勤当たり前、パワハラ横行という、ブラックを絵に書いたような状態だった。
気が付くと先輩も同僚もすべて去り、3年もすると古株になり、後輩も入っては辞め入っては辞めという状態が日常化しており、わが社は年がら年中求人広告を出していた。
当時は毎日がストレスに押しつぶされそうな状態で走り続けていたのでよくわからなかったが、今考えてみれば頼りになる先輩や上司も、愚痴や不満を分かち合ったり励ましあえる同僚もいないという寂しい環境ではあった。
直属の上司はいたが、仕事を丸投げされることはあってもピンチの時に助けてもらった記憶はない。
仕事のスキルの多くはパワハラ社長から学んだ。
転職した当時のことを思い出すとだんだん興奮してきてますます眠れなくなる。
また同時に同じ時系列でプライベートにおいても当然様々な出来事があったわけで、いちいち「あの時こうしとけばよかった」とか「あそこでしくじった」など考え出すともう泥沼だ。
思考はどんどん明確になりメロトニンはとっくに脳内で分解され、朝まで眠れる気がしなくなる。
ましてこれが日曜の夜ともなればなおさら憂鬱になる。
もう一つ眠れない原因として確実に影響しているのは寝る前のスマホだろう。
最近寝る前によくスマホをいつまでもだらだらと見ている。
就寝前のスマホが自律神経に悪影響を与えることはよく知られているが、寝る前に電気を消して眺めるYoutubeなんかはこの上なく心地いい。
ああこのまま寝落ちしてしまいたい・・・。
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